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歩兵第22連隊は、愛媛県松山市で建軍された日本陸軍の歩兵連隊である。日露戦争以降、『伊予の肉弾連隊』と畏怖された精鋭部隊であった。数々の戦役に出征して武勲を重ね、予州健児の名声を高めた。愛媛県人が主力をなし、全兵力は約3,000名。常に国難を先頭に立って切り開き、日本軍屈指の戦果を挙げた。 == 年表 == * 1884年(明治17年)松山にて広島鎮台の所属部隊として第1大隊が発足。 * 1886年(明治19年)8月17日に軍旗親授。 * 1888年(明治21年)鎮台を改編し師団が創設され第5師団に所属する。 * 1894年(明治27年)日清戦争に出兵。仁川から上陸し、平壌を清から解放する。 * 1898年(明治31年)第11師団創設にともない、第11師団に所属した。 * 1904年(明治37年)日露戦争に出兵。旅順要塞攻略、奉天会戦に参加。 * 1905年(明治38年) 歩兵第62連隊が新設され、第11師団に所属し、歩兵第22連隊は再び第5師団に所属。 * 1919年(大正8年)第5師団に属しシベリア出兵に参加。 * 1925年(大正14年) 宇垣軍縮により歩兵第62連隊(徳島)が廃止され、第11師団所属に戻った。 * 1932年(昭和7年) 第11師団に属して第一次上海事変に出兵。 * 1937年(昭和12年)7月に第二次上海事変が勃発し、22連隊は8月23日上海郊外の呉淞に上陸。 * 1938年(昭和13年)3月に愛媛県に帰還。 * 1938年(昭和13年)9月には再度満州に派遣され、東安に駐屯した。 * 1939年(昭和14年)8月、ノモンハン事件に速射砲中隊を派出。 * 1939年(昭和14年)10月、第11師団の改編にともない、第24師団に編入され、徴募区域も愛媛県から北海道に変更された。 * 1940年(昭和15年)以降、愛媛県出身の歩兵の初年兵は、丸亀、徳島、高知の各歩兵連隊に入営するようになった。 * 1944年(昭和19年)8月に満州の東安から沖縄に進出。 * 1945年(昭和20年)6月17日。圧倒的優勢なアメリカ軍と対戦し、沖縄県民を守りつつ、勇戦敢闘して玉砕した。 * 1962年(昭和37年)沖縄県摩文仁に、沖縄戦で戦死した愛媛県人約2000名を慰霊するため『愛媛之塔』が建立される。 現在、松山市堀之内の歩兵第22連隊跡には、歩兵第22連隊旗手桜井忠温中尉の『最も愛情あるものは、最も勇敢なり』の言葉が刻まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歩兵第22連隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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