|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 歩 : [ほ, ふ] 【名詞】 1. a step 2. a stride 3. counter for steps ・ 歩兵 : [ほへい] 【名詞】 1. infantry 2. infantryman 3. foot soldier ・ 兵 : [へい] 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 連 : [むらじ, れん] 【名詞】 1. party 2. company 3. group ・ 連隊 : [れんたい] 【名詞】 1. regiment ・ 隊 : [たい] 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
歩兵第230連隊(ほへいだい230れんたい、''歩兵第二百三十聯隊'')は、静岡で編成された大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。 ==沿革== 連隊主力は静岡県内で、第3大隊は岐阜で編成され、編成後第38師団隷下となり広東に派遣され、1941年(昭和16年)末まで同地の警備に当たる。 太平洋戦争勃発により香港攻略戦に参加。香港占領後、兵力を整備して1942年(昭和17年)1月19日に香港を出港。仏印のカムラン湾に入港し、シンガポール陥落後の第16軍(司令官:今村均中将)の指揮下に入り蘭印(インドネシア)攻略に参加した。連隊主力はジャワ、第3大隊はスマトラ島パレンバンに上陸し、予想以上の速さで蘭印攻略作戦を完了する。 1942年10月、ラバウルに進出した連隊は、一木支隊、川口支隊に続くガダルカナル奪回部隊の第3陣として、第2師団の指揮下に入る。 1942年10月15日夜、ガダルカナル島西海岸のタサファロングに上陸。上陸地点から東海岸のルンガ飛行場までの86キロを工兵隊が切り開き、川口支隊(第35旅団司令部および歩兵第124連隊基幹)長・川口清健少将指揮の下、“血染めの丘”正面の米軍攻撃を企図。しかし、連隊もルンガ飛行場への進出が遅れ、川口少将は大本営派遣作戦参謀・辻政信中佐により罷免。以後、連隊長・東海林俊成大佐が指揮をした。 1942年10月24日、予定より5日遅れてルンガ飛行場への総攻撃が開始された。連隊は右翼に位置していたが、この日に米軍陣地に突入できず、更に第2師団の攻撃も振るわず後退。翌25日、再び夜襲を敢行したが、米軍の猛烈な集中砲火を浴びて死傷者が続出し、攻撃は失敗。連夜の攻撃頓挫により連隊は撤退を余儀なくされた。 第38師団と共にラバウルに残っていた第2大隊が1942年11月、ガダルカナル島を目指したが途中で輸送船の多くが撃沈され、師団主力は海没。奇跡的に第2大隊は上陸に成功し、独立混成第40旅団に編入される。しかし、将兵は飢えと病気で戦死するより病死・餓死するほうが多かった。 1943年(昭和18年)1月、ガダルカナル島からブーゲンビル島へ撤退。その後、ラバウル、ニューアイルランド島と転戦し、同地で終戦を迎えた。 1946年(昭和21年)5月、復員完了。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歩兵第230連隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|