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歳徳金神社(としとくこんじんじゃ)は、岡山県倉敷市船穂町水江堅盤谷(かきわだに)にある神社である。 ==概要== かきわ谷の言い伝え 「講座」金光大神覚 第五十一回 堅盤谷のおばあさんが金神を祭っていたそうである。その当時の話として、かきわ谷の或家で七人のうち六人まで死んで、残った一人も盲となってしまった。そこで、金神様のたたりといわれ、「もうこれまでと思います。みんな引きとってもらうか、治してもらうか、二つに一つでございます。」と金神様と向って、やけっぱちのようにたのんだら、一週間でなおしてもらった。(橋本氏伝) かきわ谷では、七、八人もいた家の人が、たいせつな人から次々に死んでしまう。そして、最後に役に立たないおばあさんと孫娘だけが残された。あちこちへ行って拝んでもらったところ、金神様のしわざだと言われたので、冨原というところ行って「かんばら」をした。かんばらというのは男子の口寄せ祈祷をするのをいうのです。後で御覚書にも「かんばら祈祷」と出て来ます。そうしたところ、「知ってすれば、金神は主から取る。知らずにすれば、牛馬七疋七墓つかす。」と祈祷師は口走った。それを聞かされたばあさんは、壁をめあてにやけぎみに、「役に立たんものだけが残った。人を殺すのが神か、助けるのが神か。殺すのが神なら、孫もいっしょに取り殺してくれ。」と金神様にぶつかったところ、「我国では、金神は助ける神ではあるが、無礼をすれば殺す。」とお知らせがあった。これが、そのおばあさんの金神信仰のはじめである。とこういうことを伝えています。(浅野氏伝) かきわ谷のばあさんは四十二のときまでに、八人の子供が七人まで死んでしまった。一人のこった娘が盲目になったので、あちこちへ行ってたのんだといわれた。そこでとうとう「金神は殺す神か、生かす神か。殺すという神なら、親子三人を一度に殺してくれ。生かすのなら、この娘も助けてくれ。」とねじこんだところ、「金神は、殺す神ではない。『逃げとけ、よけとけ、廻っとけ』というて、よけていこうとするからとがめるのじゃ。」とお知らせがあって、神がかりになったと言うのです。(高橋氏伝) 元金神 「講座」金光大神覚 第五十一回 教祖様(金光教)も、ここへお参りされたといういい伝えがあります。船穂町誌の中に「元金神」とあるのは、金神信仰の元のところという意味で、繁右衛門さん(香取金光教教祖)のところも、教祖様のところも、金神様で、その元になるところであるという意のようです。私の若いころ、堅盤谷は大谷の金光様の元になるところ、奥の院である。そこへもおまいりするようにというのを聞いたことがあります。昭和八年の教祖様の五十年祭よりも前だったと思いますがね。とにかく、金光教の発生地はここだよと言って、いろいろ広告していたようです。(金光和道氏) 堅盤谷金神の始祖のおばあさんの信心からにじみ出たお陰は、自然と世の人を吸引し、堅盤谷の元金神と称して、祭日紋日の参詣者の多い時は百人に達し、渡船場の渡守を喜ばせお菓子などの家も建った。(船穂町誌) 歳徳金神社 また明治三十六年旧六月発行の南備四国霊場道中獨案内には八十五番と八十六番の間に「歳徳金神 柿ワ谷 遍路道ニアリ」との記載が残る。 現在は歳徳金神社として存続している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歳徳金神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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