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本項ではローマ帝国に関する人口学について記述する。 人口統計学的に、ローマ帝国は普通の前近代国家であった。ローマ帝国では、平均寿命が短く乳幼児死亡率が高い。また同様に結婚年齢は若く、出生率が高くなっている。誕生した時点でのローマ人の平均余命は20から25年程度であり、おそらく15から35%程度のローマ人は乳幼児の段階で死んでいた。一方で5歳以上成長した子供は四十代程度まで生きていたと思われる。ローマ人の女性は平均すると一生で6から9人の子供を生んでいたものと考えられている。 160年代に発生したアントニウスの疫病以前のピークにおいて、ローマ帝国の人口は約6000万人、人口密度は1平方kmあたり16人だった。古典期及び中世のヨーロッパ社会とは対照的にローマ帝国の都市化率は高く、2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。 ==背景 == 地中海およびその後背地において紀元前2千年紀から1千年紀初期は人口が着実に増加していった時期である。後にローマ帝国の領土となる地域では前12世紀から3世紀にかけて平均して人口の年成長率が0.1%であり、総人口は実に4倍となっている。既に発展していた地中海の東側ではこの増加ペースがよりゆるやかであり、およそ年率0.07%であった〔Scheidel, "Demography", 42–43.〕。それでもこの値は後の時代に比べると低い値ではなく、200年から1800年にかけて帝国のヨーロッパ部分の成長率は年0.06から0.07%であり、帝国のアフリカやアジア部分の人口はこの時期ほとんど増えていない〔Scheidel, "Demography", 43.〕。 比較として、1世紀から1800年にかけて現在中国の領土となっている地域の年人口成長率は0.1%であった。5世紀から6世紀にかけてのローマ凋落による人口減少の後、ヨーロッパがローマ時代の人口を取り戻したのはおそらく12世紀から13世紀であり、その後黒死病による人口減少の後に一定してローマ時代の人口を超える様になったのは15世紀半ばからである〔。 ローマ帝国に関して信頼できる総合的な人口統計は存在せず、初期近代ヨーロッパの人口統計学の基礎となった詳細な地域記録に比するようなものも存在しない。人口に関して多くの数の曖昧で逸話的な記述が残されているが、これらは記録や観測に基づいているわけではなく、憶測や対照に頼っているためローマの人口統計を調べる上ではあまり役に立たない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローマ帝国の人口学」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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