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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 死 : [し] 1. (n,n-suf) death 2. decease ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
死のロード(しのロード)は、プロ野球・阪神タイガースが毎年8月に実施する長期遠征(ロードゲーム)の通称。 2000年代頃からは単に「長期ロード」、或いは阪神が優勝争いに加わっている場合は稀にだが「Vロード」などと呼ばれることもある。 == 概要 == 阪神の本拠地である阪神甲子園球場(以下、甲子園)では、毎年8月に全国高等学校野球選手権大会が行われているため阪神は同大会の期間中、甲子園では主催公式戦を開催せず、他球団本拠地でのロードゲームを行ったり、主催公式戦についても大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)を使用するなどしている。長期ロードはおおむね開幕数日前から閉幕日後の数日間におよび、同大会開幕前の事前準備や甲子園で行われる出場各校の公式練習、並びに雨などで大会日程が順延される可能性も見込まれている〔実際に1975年8月23日と翌24日に予定されていた阪神対ヤクルト戦も、記録的長雨の影響で第57回全国高等学校野球選手権大会の日程が大幅に順延した(実際、決勝戦も8月24日まで延びた)ため、高校野球優先として開催を取り消された事例がある。〕。また同大会では試合時間が延びて夕刻以降に試合を行うケースも多く、芝などフィールドが損傷する恐れも考慮し、阪神はこの期間、甲子園を一切使用していない。 他球団についても同大会の地方大会や都市対抗野球などのアマチュア野球の大会で本拠地が使用されることがあるため、夏は長期ロードを強いられることが多々ある。セントラル・リーグでは基本的に4カード以上連続してロードゲームを組むことがないように日程を定めているが、この時期の阪神のロード期間はしばしばこの規定を逸脱することもあった。阪神は日本プロ野球創設時(1930年代中頃)から1970年代中頃までは優勝争いに絡むことが多々あったが、この長期ロードで敗戦を重ねて上位戦線を脱落し、悪い場合には4位以下(Bクラス)でシーズンを終えることがあった〔一番顕著だった1974年は6月から巨人、中日を引き離し首位独走の態勢に入っていたが、8月のロードゲーム15試合に3勝11敗1分(最後は6連敗)と大きく負け越して首位を陥落し、最後は4位に終わった。〕。さらに1970年代終盤からチームは低迷し、それに加えて長期ロードでの成績が際立って悪くなる傾向が顕著になってきたため、俗に「死のロード」と呼ばれるようになった。 この約1ヶ月の長期ロードを解消するために1965年から1979年まで甲子園に近い京都市西京極総合運動公園野球場(現:わかさスタジアム京都)で3試合〔6試合開催したシーズンもあった。〕、1973年から1979年までは岡山県営球場で3~4試合主催公式戦を開催した。 その後、福岡県を本拠地としていた球団がなかった1980年から1988年〔1988年は後述の神戸での開催がお盆にあったので9月に開催したが、同年オフに南海ホークスがダイエーに球団譲渡し本拠地を福岡に移転したため、福岡での阪神主催の公式戦は現状では同年限りである(ただし2010年のオープン戦の対広島戦が福岡 Yahoo!JAPANドーム(現:福岡 ヤフオク!ドーム)で行われた事例はある)。なお、2013年7月の沖縄セルラースタジアム那覇での対中日戦は沖縄県を広義の九州地方としてみなした場合、1988年以来25年ぶりの九州での主催試合だった。〕までは福岡市の平和台野球場で2試合の主催公式戦を開催しており、実に3週間以上も関西での試合がない状態が続いたが、1988年にグリーンスタジアム神戸(現:ほっともっとフィールド神戸)が竣工すると、阪神は高校野球期間中(主に8月15日前後)にGS神戸で主催公式戦を行うようになった(1994年まで)。また、GS神戸がオリックス・ブルーウェーブの本拠地となった1991年からはオリックスの前本拠地である阪急西宮スタジアムも使用するようになった(1996年まで。同スタジアム最後のプロ野球公式戦も同年8月24日の対広島東洋カープ戦だった)。 さらに1997年に大阪ドームが完成すると、阪神は同ドームで主催公式戦を年3カード前後開催するようになり、このうちの1カード3連戦を8月15日前後に設定している。他に選抜高等学校野球大会期間中の「ホーム開幕シリーズ」3連戦も恒例。もう1カードも夏場だが、当初は梅雨時に行われていた。しかし、セ・パ交流戦が導入された2005年以降は夏休み期間に行われるケースも多い。特に2007年は8月14日~8月19日まで同ドームで阪神主催の6連戦が編成された(対中日ドラゴンズ、広島東洋カープ各3連戦)〔2013年も8月13日~8月19日の広島東洋カープ、東京ヤクルトスワローズとの各3連戦が京セラドームにて行われた。〕。また2009年はセ・リーグの公式戦3カード(9試合)に加え、セ・パ交流戦の北海道日本ハムファイターズ戦2試合(当初、甲子園での開催予定だったのを変更)が追加され、4カード11試合となった。このように関西でも主催公式戦が行えるようになるなどしたことから、「長期遠征」という概念は年々薄らぎつつある。 2002年に星野仙一が阪神の監督に就任した際、この長期遠征を迎えた折に報道陣から意気込みを問われたときに「もう『死のロード』なんて言うな」と釘を刺したことなどもあって、これ以降は単に「長期ロード」と呼ばれるようにもなった。ただ現在でも「死のロード」の表現を使う場合がある〔例「阪神、死のロード突入 カギは監督の手腕 エンドランも減ってきて…」 (2014年8月6日夕刊フジ 同8月8日閲覧)〕 阪神とオリックス・バファローズは2005年から2007年までの3シーズンの間、兵庫県と大阪府の2府県を暫定的に保護地域としていた。また1997年以降、阪神が大阪ドーム(以下、京セラドーム)を使用する場合はオリックス(2004年までは大阪近鉄バファローズ)と折衝を行った上で使用日程を決めている。また2008年以降は阪神が兵庫、オリックスが大阪にそれぞれ保護地域を一本化されたが、仮にこの間、8月中旬の京セラドームの使用日程が調整できない場合は、神戸を使用する可能性が若干ながらあるものの、オリックスは京セラドームでの公式戦の観客動員数が伸び悩んでいることなどから、引き続き神戸での開催数を年間20試合程度確保したい旨を表明していた。阪神も京セラドームで引き続き公式戦を開催する予定であることなどから、両球団は双方の保護地域での試合数確保について今後も引き続き協力し合う意向を明らかにしている(プロ野球地域保護権#備考も参照)。 このことから、2008年以後も甲子園が使えない夏季の長期遠征実施時の関西圏での主催試合は京セラドームのみで開催されており、神戸を含む本来の兵庫県など周辺府県では1試合も行われていない。 2010年(8月2日から8月29日)と2012年(8月3日から8月30日)、2013年(期間は2010年と同じ)はいずれも4週間かけての24試合と、ここ数年で最長の長期遠征(途中、京セラドームでの主催試合がそれぞれ2カード組まれている)となった。(2008年も高校野球の開幕時期が8月2日であることを考慮して7月28日から8月25日のほぼ1ヶ月間甲子園を離れていたが、途中にオールスター、北京オリンピック野球日本代表の強化試合および五輪本戦の開催に伴う中断期間があった) また、阪神の二軍もこの期間は全国高等学校野球選手権大会出場校が阪神鳴尾浜球場を練習で使用するため長期ロードを強いられる場合がある。特に二軍の場合は元々夏場でも炎天下でのデーゲームがほとんどなうえに、広島東洋カープ由宇練習場など一軍本拠地より交通の便が悪い球場も多く、長時間の移動を要するため一軍より過酷とも言える。 阪神タイガース#主催ゲームの開幕戦を参照。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「死のロード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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