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段暉[だん こん]
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・ 段 : [だん] 【名詞】 1. step 2. stair 3. flight of steps 4. grade 5. rank 6. level
段暉[だん こん] 段暉(だん こん、生没年不詳)は、字は長祚、五胡十六国から北魏にかけての人物。。本貫は姑臧郡武威県。 == 経歴 == 成長すると身長が8尺あまりあった。欧陽湯に師事し、将来を嘱望された。412年(永康元年)、西秦の乞伏熾磐が即位すると、中尉となった。415年(永康4年)、乞伏熾磐が3万の兵を率いて北涼の湟河を襲撃し、北涼の司馬の隗仁を漢平で捕らえると、乞伏熾磐は隗仁を斬ろうとしたが、段暉は隗仁が忠義の人物であるので許して仕えさせるべきだと進言した。427年(建弘8年)、涼州刺史となった。428年(永弘元年)、乞伏暮末が即位すると、段暉は輔国大将軍・御史大夫・西海侯となった。429年(永弘2年)、吐谷渾と北涼が共同して西秦に侵攻してくると、段暉はこれを迎撃して撃破した。430年(永弘3年)、吐谷渾が西秦の定連を襲撃してくると、また段暉はこれを迎撃して破った。西秦の国政が乱れると、段暉は子の段承根とともに吐谷渾の慕璝を頼った。431年(神カ4年)、慕璝が北魏につくと、段暉父子は北魏に帰順した。太武帝に名を知られて重用され、上客となった。後に段暉が太武帝に従って長安におもむいたとき、南朝に亡命しようとしていると告発され、市で斬刑に処された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「段暉」の詳細全文を読む
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