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段 渉復辰(呉音:だん じょうふくじん、漢音:たん しょうふくしん、拼音:Duàn Shèfùchén、? - 318年)は、鮮卑段部の大人(たいじん:部族長)。段乞珍の子で、段務勿塵の弟。 == 生涯 == 大人である兄の務勿塵が死ぬと、渉復辰は務勿塵の子の疾陸眷を大人に立てた。 建武元年(317年)6月、幽州刺史・左賢王・渤海公の段匹磾、単于・広寧公の段渉復辰、遼西公の段疾陸眷ら180人は、東晋の元帝に上書を奉った。7月、段匹磾は并州刺史の劉琨を大都督とし、石勒征伐を行い、渉復辰・疾陸眷・末波らは固安に駐屯した。これを恐れた石勒は、以前石勒の人質となるが、厚遇して父子の契りを結んだ末波に賄賂を送った。それを受け取った末波は前の恩を返すべく渉復辰・疾陸眷に石勒討伐反対を訴えた。疾陸眷もまた、石勒の甥の石虎と兄弟の契りを結んでいることもあって、渉復辰ともども軍を引いた。渉復辰・疾陸眷・末波の撤退を受けて劉琨・匹磾も撤退を余儀なくされ、石勒討伐は中止となった。 建武2年(318年)正月、大人の疾陸眷が病死する。その子はまだ幼いので渉復辰が自ら立った。そのころ疾陸眷の死を聞いて薊から匹磾が奔喪してくる。末波はこれを簒奪を狙ったものだと偽り、渉復辰の兵を使って匹磾が右北平に至ったところで襲撃させた。しかし、末波はこれに乗じて渉復辰を殺し自ら単于と称し大人位を簒奪した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「段渉復辰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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