翻訳と辞書
Words near each other
・ 殷同
・ 殷周伝説
・ 殷周伝説 (横山光輝)
・ 殷周伝説・太公望伝奇
・ 殷墟
・ 殷孝祖
・ 殷宗文
・ 殷富
・ 殷富門
・ 殷富門院
殷富門院大輔
・ 殷山
・ 殷山線
・ 殷山郡
・ 殷州
・ 殷州 (北魏)
・ 殷州 (河南省)
・ 殷志源
・ 殷承ケン
・ 殷承瓛


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

殷富門院大輔 : ミニ英和和英辞書
殷富門院大輔[いんぷもんいんのたいふ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いん]
 (pref) flourishing
殷富 : [いんぷ]
  1. (adj-na,n) wealth 2. prosperity
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 
門院 : [もんいん]
 (n) empress dowager

殷富門院大輔 : ウィキペディア日本語版
殷富門院大輔[いんぷもんいんのたいふ]

殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ、生没年不詳:大治5年(1130年)頃 - 正治2年(1200年)頃)は、平安時代末期に活躍した歌人である。女房三十六歌仙の一人。父は藤原北家勧修寺流従五位下藤原信成。母は従四位式部大輔菅原在良の娘。一説に道尊僧正の母ともされる〔。
== 経歴 ==
若い頃から後白河院の第1皇女・殷富門院(亮子内親王)に出仕、それに伴い歌壇で長年にわたり活躍した。俊恵が白川の自坊で主宰した歌林苑(宮廷歌人の集まり)のメンバーでもあり、藤原定家寂蓮西行源頼政など多くの歌人と交際があった。また、文治3年(1187年)の百首歌等、自ら主催して定数歌や歌会の催しを行うこともあった。建久3年(1192年)の殷富門院出家に伴って自らも出家したとされる。私家集である『殷富門院大輔集』、及び『千載和歌集』以降の勅撰集、その他私撰集等に多数の作品を残している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「殷富門院大輔」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.