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殷承瓛 : ミニ英和和英辞書
殷承瓛[いん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いん]
 (pref) flourishing

殷承瓛 ( リダイレクト:殷承ケン ) : ウィキペディア日本語版
殷承ケン[いん しょうけん]

殷 承瓛(いん しょうけん)は清末民初の軍人・政治家。中国同盟会に属した革命派の人物で、後に雲南派の軍人となり、護国戦争(第三革命)では護国軍に参加した。叔桓
== 事績 ==

=== 革命派としての活動 ===
廩生(食禄を支給された生員)であった殷承瓛は、1903年光緒29年)に日本へ留学する。東京振武学校を経て、陸軍士官学校第5期工兵科で学んだ〔雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、894頁は、1904年(光緒30年)に留学し、陸軍士官学校第6期卒業としている。〕。また、この際に中国同盟会に加入している。帰国後、雲南の新建陸軍第19鎮に加入し、正参謀官、正参議などを歴任した。雲南陸軍講武堂の創設にも関与している〔劉国銘主編(2005)、1987頁〕〔徐主編(2007)、1250頁。〕〔雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、894-895頁〕。
1911年宣統3年)の辛亥革命では、殷承瓛は革命派における主導者の1人として、蔡鍔唐継尭らとともに謀議に参加した。そして10月30日に、革命派は昆明で蜂起を決行した(昆明重九起義)。蜂起成功後に、蔡を都督とする大漢雲南軍都督府が樹立されると、殷は同政府の参謀部総長に任命された〔雲南省陸良県志編纂委員会編(1991)、895頁〕〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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