翻訳と辞書
Words near each other
・ 殷朝
・ 殷本紀
・ 殷栗
・ 殷栗線
・ 殷栗郡
・ 殷正
・ 殷殷
・ 殷汝耕
・ 殷汝驪
・ 殷浩
殷淑儀
・ 殷淳
・ 殷焱
・ 殷熙耕
・ 殷王朝
・ 殷璠
・ 殷璽
・ 殷盛
・ 殷礼
・ 殷穆


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

殷淑儀 : ミニ英和和英辞書
殷淑儀[いん しゅくぎ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いん]
 (pref) flourishing
: [ぎ]
 【名詞】 1. rule 2. ceremony 3. affair 4. case 5. matter 

殷淑儀 : ウィキペディア日本語版
殷淑儀[いん しゅくぎ]
殷 淑儀(いん しゅくぎ、? - 462年)は、南朝宋孝武帝の淑儀(側室)。は知られていない。
== 経歴 ==
南郡王劉義宣(宋の武帝の六男、孝武帝の叔父)の娘として生まれた。一説に殷琰の家人で、劉義宣の家に入ったともいう。麗しい笑顔の持ち主であったという。
454年孝建元年)、劉義宣が敗死すると、姓を殷氏と改めて、孝武帝の後宮に入り、淑儀(嬪)に立てられた。劉子鸞劉子羽劉子雲・劉子文・劉子師、および第12皇女を産んだ(劉子羽、劉子雲、劉子文は夭折した)。462年大明6年)4月に死去し、貴妃の位を追贈され、は宣といった。孝武帝は殷氏の死を悲しんで、武帝の『李夫人賦』を模して賦を詠んだ。
後に即位した前廃帝劉子業(孝武帝の嫡長子)は、自身の廃太子を画策した殷氏への恨みを忘れず、殷氏の墓を暴き、殷氏の子女をみな殺害した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「殷淑儀」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.