|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 比 : [ひ] 1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines ・ 志 : [こころざし] 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive ・ 島 : [しま] 【名詞】 1. island ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
比志島 義輝(ひしじま よしてる、1847年10月11日(弘化4年9月3日) - 1927年3月14日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)代表。 ==経歴== 鹿児島県出身。 1885年(明治18年)7月、参謀本部第1局第1課長に就任。1886年(明治19年)5月、歩兵第19連隊長に転じ、1887年(明治20年)11月、歩兵大佐に昇進。1889年(明治22年)9月、歩兵第1連隊長となり、1892年(明治25年)9月、第4師団参謀長に異動したが、同年11月に休職。日清戦争末の1895年(明治28年)1月27日、後備歩兵第1連隊長として復帰し、同月31日、台湾混成支隊司令官に発令され、台湾に出征し澎湖諸島を占領(乙未戦争)。同年8月、陸軍少将に進級し台湾兵站監に就任。 1896年(明治29年)3月、台湾守備混成第3旅団長に移る。1898年(明治31年)4月、歩兵第15旅団長となり、1901年(明治34年)2月18日、予備役に編入〔『官報』第5286号、明治34年2月19日。〕。日露戦争勃発により1904年(明治37年)4月に召集を受け、鴨緑江軍隷下の後備歩兵第9旅団長に就任し奉天会戦などに参加。1906年(明治39年)2月17日に後備役編入となり〔『官報』第6921号、明治39年7月25日。〕、同年2月27日、陸軍中将に進み〔『官報』第6797号、明治39年2月28日。〕召集解除となった。1910年(明治43年)4月1日に退役した〔『官報』第8073号、明治43年5月23日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「比志島義輝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|