|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 比 : [ひ] 1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 跡 : [せき, あと] 【名詞】 1. (1) trace 2. tracks 3. mark 4. sign 5. (2) remains 6. ruins 7. (3) scar
世尊寺(せそんじ)は、奈良県吉野郡大淀町比曽にある曹洞宗の寺院である。 古くは比蘇寺(ひそでら)と呼ばれ大規模な伽藍を構えていたが、現在の世尊寺は江戸時代に整備縮小して再興されたもの。かつての寺域は、1927年(昭和2年)4月8日に「比曽寺跡」として、国の史跡に指定されている。聖徳太子霊跡第7番。 == 歴史 == 古くは、吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれ、聖徳太子が建立した48か寺の一つと伝えられている。同寺に残っている瓦や伽藍配置などから、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたようである。 奈良時代には、吉野寺比曽山寺と呼ばれ、後述する現光寺の由来となった仏像が安置された。また著名な僧侶・神叡が住み、20年間三蔵を学んで自然智を得たという。平安時代には宇多上皇や藤原道長などが吉野への参詣の途中に訪れ、大いに栄えたが、その後は衰退した。 鎌倉時代に入り、1279年(弘安2年)に金峰山から春豪聖人が比蘇寺に移り、再興に努めた。また西大寺を復興した叡尊の留錫により真言律宗となっている。さらに1337年(南朝:延元2年、北朝:建武4年)には文観が先達となって後醍醐天皇が行幸し「栗天奉寺」と命名され、勅願寺となっている。 その後、再び衰退し荒廃するが、江戸時代に入って、伽藍を整備縮小し禅宗寺院として、霊鷲山・世尊寺と改め復興し、現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「世尊寺 (奈良県大淀町)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|