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比治山貝塚(ひじやまかいづか)は、広島県広島市南区比治山にある貝塚。1950年(昭和25年)3月に県史跡指定〔『比治山をめぐる郷土誌』14ページ〕。約2000年前の縄文後期の遺跡とされている〔。 == 概要 == 縄文時代後期から晩期にかけての貝塚で、比治山南麓にある〔。広島市内では東区中山の中山貝塚とともに著名な貝塚である。 元々比治山自体は広島藩の藩有林で明治以降は国有林であった。この比治山の南側は1872年(明治5年)陸軍墓地(現在の比治山南広場)や、1899年(明治32年)広島湾要塞司令部(のちの電信第2連隊で現在の比治山本町に位置した)など明治以降は大日本帝国陸軍が接収していた。貝塚自体の存在は大正時代には確認されていたがこのために発掘調査が行うことが出来ず、この場所から最初に遺物が出土したのは1932年(昭和7年)陸軍による拡張工事の時のことであった〔〔。元々の貝塚は現在南北方向に通る道を横断するような形で広がっていたが、戦中に軍施設として拡張が行われその際に貝塚の主要部分が破壊されている。終戦後、松崎寿和広島大学教授らが1948年(昭和23年)から発掘調査を始めている〔〔。発掘終了後、一時期はゴミ捨て場化したこともあったが、1984年(昭和59年)に案内板が整備された〔。 現在は、小さな案内看板が建てられている他は特に整備されておらず、貝塚自体も埋め戻されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「比治山貝塚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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