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毛利 元氏(もうり もとうじ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏の家臣。 == 生涯 == 弘治2年(1556年)、吉川元春の次男として生まれ、永禄11年(1568年)1月21日に毛利輝元の加冠により元服。さらに毛利元就より「元」の字の一字書出を受け、「元棟」と名乗った。永禄9年(1566年)12月21日に周防国の仁保隆在が男子のないままに死去したため、元亀2年(1571年)に仁保隆在の娘と婚姻し、婿養子として仁保氏の所領と家督を相続した。しかし、元棟(元氏)は未だ若年であったために、後見役・毛利氏向名代として吉川氏一族の江田智次(江田宮内大輔)が付けられ、以後中国各地を転戦する。石見国浜田周辺に陣屋を置いていたという説がある。 永禄13年/元亀元年(1570年)には父・元春と共に、尼子勝久や大内輝弘と手を組んで毛利氏の後方を撹乱していた三隅国定を討ち取っている。その後、恩賞として三隅氏の旧領3000貫を得た。また、山陰地方の肥中港(現在の山口県下関市豊北町神田肥中)や瀬戸崎港(現在の山口県長門市仙崎)を押さえて、山陰の海運を担った。天正15年(1587年)、仁保氏の名跡を神田元忠に譲り、元氏は「繁澤(はんざわ)」の名字を名乗る。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に周防国に移り、慶長18年(1613年)に毛利に名字を復することを許され、周防高森から転封、現在の豊北町阿川・滝部地区周辺を治める。子孫は長州藩一門家老の阿川毛利家として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利元氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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