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毛利 吉元(もうり よしもと)は、長州藩の第5代藩主。 長府藩主・毛利綱元の長男。母は池田光政の娘・祥雲院。養母は鷹司輔信の娘・小石姫(養心院)。正室は池田綱政の娘・法林院。 == 経歴 == 延宝5年(1677年)8月24日、江戸で生まれる。元禄4年(1691年)12月に元服して元倚(もとより、元猗とも)と名乗り、宝永3年(1706年)に叙任する。宝永4年(1707年)に本家藩主・毛利吉広が若死にすると、その養嗣子として後を継ぎ、新たに叙任する。吉広同様、将軍徳川綱吉より偏諱を賜い、吉元に改名。吉元は毛利秀元系初の長州藩主であるが、この家督相続の際に徳山藩主で、血統上は毛利輝元系の毛利元次が無視されたので、禍根を残すことになり、万役山事件を起こすこととなる。 藩財政再建のため、5ヵ年の倹約や経費節減、参勤交代での人数の減少に務めた。また、文武を奨励して藩校・明倫館を創設し、さらに毛利氏の家系をまとめた閥閲録204冊の編纂も行なった。享保16年(1731年)9月13日、江戸で死去。享年55。墓所は山口県萩市椿東の東光寺。大正5年(1916年)、従三位を追贈された。 初めは三男の元陳(もとのぶ)を、次に実家の長府藩主を継いでいた長男の元朝(宗元)を、次の長州藩主に定めていたが、いずれも吉元に先立って早世しており、新たに嫡男となっていた五男の維広(宗広)が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利吉元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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