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毛利 吉就(もうり よしなり)江戸時代前・中期の人物で、長州藩の第3代藩主。 第2代藩主・毛利綱広の長男。母は松平忠昌の娘・高寿院(千姫)。正室は小浜藩主・酒井忠隆の娘・長寿院(亀子)。官位は従四位下長門守。 寛文8年(1668年)正月21日、江戸で生まれる。天和2年(1682年)2月27日、父の隠居により跡を継いだ。このとき、将軍・徳川綱吉から偏諱を賜り、祖父・毛利秀就からも1字を取って吉就と名乗り、叙任している。藩政においては貞享検地と呼ばれる検地を行なって、領民に対して減税政策を採用し、新堀川の治水工事や城下町建設、元禄4年(1691年)の護国山東光寺建立などに尽くすなど、善政を敷いたが、相次ぐ改革で出費が莫大なものとなり、藩財政の悪化が始まった。また、吉就自身も改革などで家臣団と争いを起こす中で、元禄7年(1694年)2月7日に急死した。享年27。 嗣子が無く、跡を異母弟で養嗣子の就勝(吉広)が継ぐこととなった。墓所は萩市椿東の東光寺。 == 偏諱を与えた人物 == *毛利就勝(実弟・養嗣子、のちの毛利吉広。就勝は右田毛利就信の養子になっていた時の諱。) *毛利就久(厚狭毛利家) *毛利就包(吉敷毛利就直の次男で広政・広包の次兄、初め村上武真) *毛利就芝(阿川毛利家) *宍戸就延(就宗)(熊谷元実の子で宍戸就附・熊谷就実の実弟。就附死後、宍戸氏を継ぐ。) *志道就晴(志道氏、主に吉広・吉元時代に当職(国家老・執政)を務めたが、毛利広政の直訴により罷免。) *志道就保(椙杜元縁の養子・就幸の子で椙杜就保とも。元縁実父・志道元保の曾孫で就晴とは親戚関係にある。娘に宍戸広周正室。主に吉広・吉元時代に当役を務めたが、毛利広政の直訴により罷免。) *清水就治(清水氏) *宍道就晴(宍道氏) *福原就澄?(福原広俊の子) *益田就高(益田氏分家、益田景祥の孫で広尭・宍道広慶の実父) *益田就賢(益田氏分家から本家・須佐領主益田家第7代当主となる。) *椋梨就政(椋梨氏) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利吉就」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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