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毛利梅園 : ミニ英和和英辞書
毛利梅園[もうり ばいえん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もう, け]
 【名詞】 1. hair 2. fur 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
梅園 : [ばいえん]
 (n) plum garden or orchard
: [その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation 

毛利梅園 : ウィキペディア日本語版
毛利梅園[もうり ばいえん]

毛利 梅園(もうり ばいえん)は江戸時代後期の旗本本草学者。名は元寿(もとひさ)。主著に『梅園画譜』『皇代系譜』。
== 生涯 ==
寛政10年(1798年)、江戸幕府旗本毛利兵橘元苗(もとひで)の長男として生まれた〔中田吉信「毛利梅園考」『参考書誌研究』第30号、1985年9月〕。享和3年(1803年)、木挽町築地の拝領屋敷500坪が旗本寄合席有馬熊五郎へ譲られ、白山鶏声ヶ窪古河藩土井家屋敷内852坪地に転居した〔磯野直秀「『梅園画譜』とその周辺」『参考書誌研究』第41号、1992年3月〕。
文政3年(1820年)頃から植物に興味を持ち、写生に熱中するようになった〔。屋敷内に草木を植え、当初梅樹園と号していたが、後に阿部正精に欑華園の号を賜った〔。文政5年(1822)12月24日書院番諏訪備前守組に加入し、文政13年(1830年)5月4日父の遺領を相続した〔。
天保2年(1831年)動物、天保6年(1835年)菌類に関心が移り、天保10年(1839年)活動が一端途絶える〔。天保13年(1842年)3月7日牛込からの大火に類焼し、3月15日麻布龍土町長州藩毛利家下屋敷に移り、梅竜園と号した〔。弘化2年(1845年)8月25日白山に新居を着工した〔。
弘化元年(1844年)写生活動を再開し、初めツバキの諸品種を模写している〔。江戸近郊へも積極的に採集に出かけるようになり、嘉永元年(1848年)9月高尾山、嘉永2年(1849年)3月箱根に採集を行い、また小仏峠大山江ノ島鎌倉金沢等も巡った〔。しかし、嘉永2年(1849年)で活動が途絶え〔、嘉永4年(1851年)8月7日死去し、三田正覚院に葬られた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「毛利梅園」の詳細全文を読む




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