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毛利 正直(もうり まさなお、宝暦11年2月7日(1761年3月13日)〔「大石兵六夢物語」の『毛利正直小伝』参照なお、「抄名墓録」では同年3月7日となっている。〕 - 享和3年8月8日(1803年9月23日))は、江戸時代中期の薩摩藩の武士。諱は正直。幼名は虎次郎。通称は治右衛門。鹿児島城下加治屋町生まれ。華道家で元禄8年(1695年)に池坊28世専養の門人となり、のちに九州花頭になった毛利正周は曾祖父。家格は御小姓与。 郡奉行で加治屋町に住んでいた毛利正堅の次男で母は立石氏。のち分家し、草牟田村池之平に移る。屋久島方書役となる。 鹿児島の郷土文学「大石兵六夢物語」の作者。田代彦兵衛親常に師事するという。法号は秋山常英居士。 「大石兵六夢物語」以外にも著作があり、「新薩藩叢書4」に掲載されている。 == 年譜== *明和4年(1767年):父正堅が51歳で死去。兄の正興が相続。 *安永2年(1773年)5月15日:島津重豪に初お目見え。 *安永4年(1775年)7月2日:分家。 *天明3年(1783年):「大福夢中小鑓」執筆。 *天明4年(1784年):草牟田村池之平に移住。また「大石兵六夢物語」執筆 *天明8年(1788年):「移居記」執筆 *寛政元年(1789年):「煙草記」執筆 *寛政7年(1795年):妻との間に長男正次郎誕生するが、同年死去し、妻とも離婚。 *寛政9年(1797年):後妻の栗野郷士上田源兵衛の娘との間に次男正贇(のちの正位)誕生。 *寛政12年(1800年):後妻と離婚。 *享和3年(1803年)8月8日:死去。残された次男は兄が養育する。 *文政6年;次男毛利正位が現在の鹿児島市常盤町の地に独立。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利正直」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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