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毛利真人 : ミニ英和和英辞書
毛利真人[もうり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もう, け]
 【名詞】 1. hair 2. fur 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
真人 : [しんじん]
 (n) true man
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

毛利真人 ( リダイレクト:毛利眞人 ) : ウィキペディア日本語版
毛利眞人[もうり まさと]

毛利 眞人(もうり まさと、1972年4月12日 - )は、日本の音楽ライター音楽史家音楽蒐集家である〔毛利, 奥付。〕〔プロフィール 、毛利眞人、毛利アーカイブス、2015年1月28日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2015年1月28日閲覧。〕〔音楽ライターひき逃げされ重傷 大阪市 産経WEST、2014年1月13日付、2015年1月28日閲覧。〕。専門は日本洋楽史およびレコード史研究〔〔。貴志康一二村定一の再評価を進めたことで知られる〔。
== 人物・来歴 ==
1972年(昭和47年)4月12日、岐阜県郡上郡八幡町(現在の同県郡上市八幡町)に生まれる〔〔。
高等学校在学中の1980年代末、地元紙にコラムを寄稿する活動を開始する〔。この時代にはすでに名古屋大須観音での骨董市に出没し、のちにを手がけることになる青木晴子『ねえ興奮しちゃいやよ』のSPレコードはこの時期にすでに入手したという〔「ねえ興奮しちゃいやよ 昭和エロ歌謡全集 1928-1932」 、毛利眞人、音盤茶話、2014年8月25日付、2015年1月28日閲覧。〕。その後、大阪芸術大学に進学するも2年次に中途退学し、中古レコード店に勤務する〔。20歳前後の時期にはすでに貴志康一をテーマに据えており、1992年(平成4年)2月7日付の岐阜新聞に掲載された「竹取物語」は、その初期の考察である〔「竹取物語」、毛利眞人、岐阜新聞、1992年2月7日付。〕。
満27歳を迎える1999年(平成11年)に発表された第6回「21世紀国際ノンフィクション大賞」(現在の小学館ノンフィクション大賞)に応募、『永遠の青年音楽家 貴志康一』が最終候補に残る。同作はのちに2006年(平成18年)12月、国書刊行会から上梓され、毛利の最初の単著となる〔〔。その間、2002年(平成14年)9月から『大阪人』で「貴志康一」全5回連載、2004年(平成16年)8月には『大阪の歴史』に「伝記 大阪の生んだ音楽家 貴志康一」を掲載〔〔、2003年(平成15年)3月4日、二村定一と貴志康一とレコードのサイト「毛利アーカイブス」を開設、これが現在に至る毛利の公式ウェブサイトとなる〔更新情報 、毛利眞人、毛利アーカイブス、2015年1月28日閲覧。〕。同年は「エノケン生誕100年」に当たり、東京都江戸東京博物館で開かれた特集展示『エノケンとレビューの時代』の関連事業『エノケン映画の上映とトーク・セッション』において、同年11月2日に保利透とともにトーク・セッションに出演した〔エノケン生誕100年記念 特集展示「エノケンとレビューの時代」開催要項 三木鶏郎資料館、2015年1月28日閲覧。〕。2001年(平成13年)から2011年(平成23年)まで、NHK大阪放送局製作のラジオ番組関西発ラジオ深夜便』に「なつかしのSPレコード盤コーナー」を持ち、自らの蒐集したSPレコードから名曲をチョイス、解説・放送したほか〔〔、2006年にはMBSラジオのラジオ番組『ラジオの達人』で「毛利眞人のSP盤アワー」のコーナーを持つなど、関西の放送界での活動展開を行った〔。2007年(平成19年)5月7日には、関西大学で『SPレコードで聴く"クラシック入門"』が開かれ、毛利は講師として出演、レコードコンサートを行った〔SPレコードで聴く"クラシック入門"を開催 関西大学、2007年5月7日付、2015年1月28日閲覧。〕。2008年(平成20年)9月9日 - 同年10月19日に大阪市立美術館で行われた佐伯祐三の特別展『没後80年記念 佐伯祐三展 パリで夭逝した天才画家の道』でのイヴェント『コンサート 佐伯祐三とその時代の音楽』として、会期中の同年9月15日には『蓄音機ライブ&トーク』として毛利が出演した〔没後80年記念 佐伯祐三展 パリで夭逝した天才画家の道 大阪市立美術館、2015年1月28日閲覧。〕。
2010年(平成22年)、保利透が私設サークルとして設立した「ぐらもくらぶ」に、瀬川昌久岡田則夫佐藤利明小針侑起とともにサポートメンバーとして参加した〔ひばりの誕生 佐藤利明、2011年5月11付、2015年1月28日閲覧。〕。同年11月26日には単著『ニッポン・スウィングタイム』、2012年(平成24年)1月27日には単著『沙漠に日が落ちて 二村定一伝』をそれぞれ講談社から上梓する〔〔。2011年11月23日にビクターエンタテインメント(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が発売した藤山一郎のコンピレーション・アルバム『ジャズを歌う』を第1作として「ニッポンモダンタイムスシリーズ」を開始、テイチクエンタテインメントではディック・ミネ『''Empire of Jazz''』(同年11月23日発売)ほか、キングレコードでは松島詩子『''La Tanguista''』(同年12月21日発売)ほか、日本コロムビアでは二村定一天野喜久代ほか『SWING TIME 1928-1941』(2012年1月18日発売)ほか、ユニバーサルミュージックでは藤山一郎ほか『スウィング・パラダイス』(2014年1月22日発売)といった、各社レーベルを超えて、選曲、解説等を行なった〔〔。同年2月20日に放送された浜美枝ラジオ番組『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送)にゲスト出演した〔2月20日ゲストは、毛利眞人さんです。 浜美枝のいつかあなたと文化放送、2011年2月19日付、2015年1月28日閲覧。〕。
「ぐらもくらぶ」はやがて保利の自主レーベルへと活動を進め、2012年3月11日に発売した二村定一のコンピレーション・アルバム『二村定一 街のSOS!』を発売し、レーベルとして本格起動した〔レココレ, p.156-161.〕〔保利透 はてな、2015年1月28日閲覧。〕。毛利は同アルバムに監修・ライナーとして参加、以降、一部を除くほとんどのアルバムに監修・解説として参加する〔〔。2013年(平成25年)には大阪芸術大学博物館に半年間招かれ、同博物館に所有されるSPレコードのデータベース化、調査を行った〔大阪芸術大学博物館所蔵SPレコードにおけるショパン作品の調査と整理 多田純一大阪芸術大学、2015年1月28日閲覧。〕。
2014年(平成26年)1月13日の午前2時25分ころ、大阪市中央区千日前千日前通軽自動車ひき逃げに遭い、骨盤骨折等の重傷を負った〔。以降、リハビリを経て回復、同年5月6日には、東京都江戸東京博物館で、ぐらもくらぶが同年4月27日にアルバム『大東京ジャズ』、同『六区風景 想ひ出の浅草』を発売したことを記念して、『蓄音機で聴く戦前日本のジャズ世界』『浅草六区と浅草オペラ・戦前の大衆芸能』『若きジャズマンらによる戦前モダンミュージック座談会』の三本立イヴェント『大東京モダンミュージックの世界』を同レーベル主催で行い、大谷能生、保利透、岡田則夫、小針侑起、片岡一郎らとともに出演した〔「大東京モダンミュージックの世界」、讀賣新聞、2014年4月25日付夕刊、p.9.〕〔ゴールデンウィーク最終日はこちらのイベントへ!『大東京モダンミュージックの世界』江戸東京博物館ホール 保利透、2014年4月30日付、2015年1月28日閲覧。〕。現在は大阪市淀川区に在住〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「毛利眞人」の詳細全文を読む




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