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毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、日本の元女優。グラマー女優と称され時代劇女優としても活躍したが、妻子持ちの男性との男女関係のもつれから男性を刺殺し、懲役5年の判決が言い渡されて1977年(昭和52年)まで服役した〔''毛利郁子''、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月24日閲覧。〕〔''毛利郁子''、キネマ旬報映画データベース、2012年6月24日閲覧。〕〔''毛利郁子''、テレビドラマデータベース、2012年6月24日閲覧。〕〔毛利郁子 、芸能人物事典 明治大正昭和、日外アソシエーツ、2012年6月24日閲覧。〕。 == 来歴 == 1933年(昭和8年)4月25日、高知県幡多郡宿毛町(現在の高知県宿毛市)の呉服商の家に生まれる〔。高知県立宿毛高等学校を卒業後、親戚の経営する大分県別府市の旅館でフロント係を勤めていた1955年(昭和30年)、「全国温泉旅館美女コンテスト」で「ミス温泉」に選ばれた〔〔『週刊ポスト』第3巻第21号、小学館、1971年5月、p.160-161.〕。 満23歳になる1956年(昭和31年)、大映に「大映10期俳優研修生」として入社。1957年(昭和32年)、大映東京撮影所が製作した特撮映画『透明人間と蝿男』でデビュー、現代劇の女優としてキャリアを始めた〔〔〔。当時の公称サイズは「身長160センチ、バスト96センチ、ウエスト55センチ、ヒップ92センチ」としており、大映の紺野ユカ、東宝の中田康子、新東宝の前田通子、三原葉子、万里昌代、左京路子、筑紫あけみ、松竹の泉京子、炎加世子、日活の筑波久子、白木マリ、東映の小宮光枝と並ぶグラマー女優と称された〔『文藝春秋』第80巻第2号、p.208.〕。撮影所にペットとして持ち込むほどのヘビ好きとして知られ、猟奇的な映画で抜群の存在感を発揮した、とされ、多く報道もされたが、実際には怖がらなかった程度であり、本人は当時父親に、そういった特徴を喧伝されたほうがいいのだという旨の話をしていた〔志村、p.186-194.〕。 1958年(昭和34年)6月15日に公開された弘津三男監督の『白蛇小町』で初めて大映京都撮影所作品に出演し、1959年(昭和34年)、東京撮影所から京都撮影所に異動、以降、時代劇女優に転向する〔〔〔。同年1月22日に公開された弘津三男監督の『青蛇風呂』では、主演女優の座を勝ち取っている〔〔。以降、怪談映画をはじめ、勝新太郎の「座頭市シリーズ」や市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」など、100本近い作品に出演した〔〔〔。1960年代の日本映画の斜陽期において、妖艶な演技で映画界を牽引した。殊に「眠狂四郎シリーズ」の第4作『眠狂四郎女妖剣』と第7作『眠狂四郎多情剣』において演じた「将軍家息女・菊姫」役は、その鬼気迫る演技と存在感は作品に鮮烈な印象を残した。 1964年(昭和39年)10月28日に放映を開始した連続テレビ映画『風雲児半次郎 唐芋侍と西郷』(監督安田公義/井沢雅彦、東伸テレビ映画/毎日放送)にも出演している〔。1965年(昭和40年)から出演作が減り始め、1967年(昭和42年)には、同年6月17日に『悪名一代』が公開されるまでの上半期の出演作がないが、以降出演ペースは従前に戻った〔〔〔。再上映やビデオ発売の多い『妖怪百物語』『妖怪大戦争』での、ろくろ首役も名高い。 1969年(昭和44年)12月14日、満36歳のとき、妻子持ちの男性との間に既に2歳の男児をもうけ、7年越しの交際をしていたが、その女性関係のもつれから、兵庫県姫路市内の広峰山でのドライブ中に男性を刺殺、翌日自供し逮捕される〔。現役の女優が殺人を犯すのは初めてであった。事件直後の同年12月20日に公開された出演作『秘録怪猫伝』は、ヒット作となった。大映社長の永田雅一、共演者の勝新太郎らが減刑嘆願書を提出し〔『週刊明星』第13巻第8号、集英社、1970年3月、p.175-176.〕〔『週刊サンケイ』第19巻第10号、サンケイ出版、1970年3月、p.32-33.〕、1970年(昭和45年)4月17日、神戸地方裁判所姫路支部における一審で懲役7年、1974年(昭和49年)9月17日に大阪高等裁判所における二審で懲役5年の判決が言い渡され、刑は確定した。その間、1971年(昭和46年)12月にはすでに大映は破産していた。毛利は和歌山刑務所に収監されて服役し、3年後の1977年(昭和52年)に仮釈放された。芸能界は引退し、『芸能人物事典 明治大正昭和』に記述のある1998年(平成10年)11月時点では、結婚して平穏な家庭生活を送っているとされている〔。以降の消息は不明である。 2012年(平成24年)6月現在、100本近い毛利の出演作のうち、『透明人間と蝿男』(1957年)、『次郎長富士』『紅あざみ』『初春狸御殿』(1959年)、『ぼんち』(1960年)、『続 惡名』(1961年)、『座頭市物語』『斬る』『殺陣師段平』(1962年)、『新選組始末記』『手討』(1963年)、『座頭市血笑旅』(1964年)、『大殺陣 雄呂血』(1966年)、『座頭市牢破り』(1967年)の14作が東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、、2012年6月24日閲覧。〕。『白蛇小町』『執念の蛇』『青蛇風呂』の一連の「蛇映画」については、同センターに所蔵されておらず、2000年(平成12年)に大映(現在の角川書店の一部門)がVHSビデオグラムを発売するのみで、DVD等は未発売である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛利郁子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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