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毛野(けの/けぬ)は、日本の古墳時代の地域・文化圏の1つ。群馬県と栃木県南部を合わせた地域を指すとされる〔『世界大百科事典』(平凡社)毛野項。〕。 == 概要 == 毛野地域の変遷 北関東の群馬県と栃木県南部を合わせた領域を指す地域名称、またはヤマト王権時代に同地域に築かれていたとされる勢力を指す名称である。史書には「毛野」の名称自体は使われていないが、「上毛野(かみつけの)」や「下毛野(しもつけの)」の名称が見られ、これらは毛野が分かれた後のものといわれる。律令制施行後は、上毛野は上野国(こうずけのくに:群馬県領域)に、下毛野は那須(栃木県北部)を加えて下野国(しもつけのくに:栃木県領域)と定められた。この過程で「毛」の表記は省略されたが、「け」の読みは残されている。現在でも「毛野」の名残は、上毛・東毛・西毛・両毛という地域表現や、「毛野河」から転訛した鬼怒川(きぬがわ)の名称などに見られる。 毛野地域の比定地である北関東では、古墳時代に数多くの古墳が築かれたことが知られる。特に群馬県内では、東日本最大の太田天神山古墳(群馬県太田市、墳丘長210メートルで全国26位)〔なお、以前には太田天神山古墳以上の規模と推考される古墳の議論がなされていた。1つには、推定墳丘長220メートル以上として雷電山古墳(栃木県宇都宮市)が挙げられることがあったが(『栃木県の地名』雷電山古墳項等)、1990年の調査で推定古墳跡地上で住居跡が見つかり、大規模古墳であることは否定されている。また、米山古墳(栃木県佐野市)も「米山丘陵全体が古墳」だとして墳丘長約360メートルとする説があったが(現地説明板等)、現在はほぼ否定されている(米山古墳 (とちぎの文化財))。〕を始めとして、墳丘長が80メートルを越す大型古墳が45基、総数では約1万基もの古墳が築かれた〔1935年の調査で群馬県内では8,423基の古墳が確認されている(『上毛古墳綜覧』)。調査漏れや埋没古墳を含めると1万基を下らなかったとみられている(『群馬県の地名』総論 遺跡からみた原始・古代節)。〕。古墳時代の主な勢力には畿内のほかに毛野、尾張・美濃、吉備、出雲、筑紫、日向が挙げられるが〔『詳説 日本史図録』(山川出版社、第5版)p. 26。〕、墳丘長200メートル以上の古墳が築かれたのは畿内、吉備、毛野のみであった。加えて畿内王墓に特有の長持形石棺の使用が見られることにも、毛野の特筆性が指摘される。 また『日本書紀』には、崇神天皇(第10代)皇子の豊城入彦命に始まる上毛野氏(かみつけのうじ/かみつけのし)の伝承が記されている。その中で各人物は対蝦夷・対朝鮮の軍事・外交に携わっており、毛野の豪族がヤマト王権に組み込まれた後も王権内で重要な役割を担っていたことが指摘されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「毛野」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Keno Province 」があります。 スポンサード リンク
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