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毫摂寺 : ウィキペディア日本語版
毫摂寺[ごうしょうじ]

毫摂寺(ごうしょうじ)は、福井県越前市にある浄土真宗の寺院で真宗出雲路派の本山である。

==歴史==
毫摂寺は、天福元年(1233年親鸞山城国愛宕郡出雲路(現在の京都府京都市北区)に創建し、善鸞(第2世)に附与したのに始まると伝えられる。
本願寺覚如の末子善入(第3世)が継ぎ今出川に寺基を移すが、明徳の乱の戦火にあい、暦応元年(1338年)に善幸が当時本末関係にあった越前国山本庄(現在の福井県鯖江市)の證誠寺に寄寓する。
善鎮(第8世)は門末を率いて自ら本願寺蓮如に帰参し(正闡坊・府中御堂陽願寺 (越前市)開基)、その子善覚(第9世)が継ぐも寺勢は衰退する。
越前一向一揆の兵火にあい、さらに證誠寺との争いが起き、善秀(第11世)は失意のうちに没した。嗣子として柳原家より迎えられていた善照(第12世)は教線の拡大につとめ、慶長元年1596年)に寺基を現在地に移して再興した。おりしも小丸城が廃城となって停滞していた城下町五分市(ごぶいち)は毫摂寺の門前町として発展し、同寺は「五分市本山」と称されるようになる。
元禄年間(1688-1704)より明治維新に至るまで青蓮院の院家となり天台宗に属していた。善准(第17世)には世子がなく善栄(第18世)は興正寺第22世寂永の子である。
明治5年1872年)、教部省設置にかかる指令により浄土真宗本願寺派と合同したが、明治11年1878年)、同省廃止をうけ独立して一派を成した。
境内は味真公御助麻呂館の跡と伝えられ、世に味真野長者屋敷といわれている。境内に建つ堂宇のうち阿弥陀堂と御影堂は明治10年1878年)に火災で焼失後、明治17年1884年)に再建されたもの。鐘楼や経藏、諸門などは文化8年(1811年)の造営。
*毫摂寺は光明天皇後柏原天皇および後陽成天皇から勅願所綸旨を受けている。〔真宗教団連合 真宗出雲路派 毫摂寺

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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