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氏家 直元(うじいえ なおもと)は、戦国時代の武将。 出家後に名乗った「卜全」(ぼくぜん)の号で知られている。西美濃三人衆の一人。最盛期には美濃国の三分の一を領し、三人衆の中では最大の勢力を有していたとされる。 == 生涯 == はじめ美濃国守護の土岐頼芸の家臣として仕えたが、斎藤道三によって頼芸が追放されると、道三の家臣として仕えた。道三死後も斎藤義龍、斎藤龍興に仕えたが、龍興とは折り合いが悪かったとされており、稲葉良通や安藤守就と共に永禄10年(1567年)、織田信長の稲葉山城攻めにおいて内応し、以後は織田氏の家臣として仕えた。なお、この頃に卜全と号した。 信長上洛の際にはこれに従った。また、永禄12年(1569年)の北畠具教が籠城する大河内城攻めや、元亀元年(1570年)の姉川の戦いなどにも参加して活躍した。 元亀2年(1571年)の伊勢国長島攻めで柴田勝家に従軍し、織田軍が撤退する際に殿軍を務めたが、5月12日に美濃石津で本願寺勢力と共に織田軍に抵抗していた六角一族の佐々木祐成に討ち取られた。享年38とされるが、『美濃国諸旧記』には59歳で死去したと書かれている。戒名は、大常院安応卜全大居士。岐阜県海津市南濃町安江に「卜全塚」という供養塔がある。 家督は、長男の氏家直昌が継いだ。また、次男の氏家行広(荻野道喜)は大坂の陣で活躍した。 File:Bokuzen-Zuka.jpg|卜全塚(岐阜県海津市南濃町) File:Bokuzen-Zawa.jpg|戦死した卜全の首を洗った場所と伝わる卜全沢(岐阜県海津市南濃町) == 参考論文== *宮本義己「美濃三人衆の去就―織田信長の美濃経略―」(『歴史手帳』6巻1号、1978年) *吉田義治「織田政権成立過程における美濃武士団―西美濃三人衆の動向を中心に ―」(『岐阜県歴史資料館報』25号、2002年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「氏家直元」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ujiie Naotomo 」があります。 スポンサード リンク
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