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民族問題人民委員部(みんぞくもんだいじんみんいいんぶ、)は、1917年の十月革命直後から1924年までのソビエト・ロシアに存在した国家機関である。略称はナルコムナツ ()。 == 沿革 == 1917年11月8日(ユリウス暦10月26日)ので採択された「人民委員会議の設置に関する布告」に基づいて設置された、最初の人民委員部の一つである。本部は当初ペトログラードに置かれたが、後にモスクワのに、さらに後にはへ移転した。 民族問題人民委員部は、民族政策の実施や諸民族に対する教育・プロパガンダ活動を任務とし、1920年5月19日にはロシア連邦共和国の各自治共和国・自治州に民族代表部が置かれた〔。民族問題人民委員として機構のトップにいたのはヨシフ・スターリンであったが、スターリンはあまり人民委員部には顔を出さず、実質的に人民委員部を指導していたのは次官のグリゴリー・ブロイド (ru) であった〔髙橋 (2012) 116頁〕。 1923年10月の時点で、バシキール、ブリヤート、ヴォチャク、ダゲスタン、北カフカース、クリミア、カラチャイ・チェルケス、カルムイク、ズィリャン、キルギス、カレリア、カバルダ、マリ、ヴォルガ・ドイツ人、チュヴァシ、ヤクート、タタール、トルキスタン、オイラート、アディゲ、チェチェンについて代表部が設置され、ロシア内部に領土を持たないポーランド、ユダヤ、バルト三国の民族についても部局が置かれていた〔髙橋 (2012) 117頁〕(以前には置かれていたチェコスロヴァキア、グルジア、アルメニア、南スラヴについての民族委員部・民族部は、ロシア内戦の終結と各民族の独立に伴って廃止された〔)。 後期には、その活動内容は法律や財務、出版などにも拡大し、東方勤労者共産大学や東洋学研究所などの教育・文化機関をも下部に擁するようになった〔。 しかしスターリンは、1922年末にはすでに民族問題人民委員部が不要であるとの考えに至っていた(その代わり、スターリンはを比例原則による労農代表と平等原則による民族代表の二院制にすることを提案していた)〔髙橋 (2012) 118頁、122頁〕。この廃止提案については、中執委における両院の同権が保障されておらず、民族代表の権限縮小に繋がるといった批判や、民族代表の人員割り振りが圧倒的にロシア共和国の有利になるように設定されている、といった批判が各方面から寄せられた〔髙橋 (2012) 125頁、127頁〕。 しかし結局は1923年7月7日、民族地域の設置とその同盟への統合準備という当初の目標は達成された、として、全露中執委は民族問題人民委員部の解体を決定した〔髙橋 (2012) 129頁〕。解体反対派の事前通告なしの解雇・配転や事務所からの強制退去、備品の接収などが行われ、最終的に1924年5月7日を以て民族問題人民委員部は解体され、その業務は全露中執委幹部会へ移管された〔髙橋 (2012) 133-135頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「民族問題人民委員部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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