|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 勇 : [ゆう] 【名詞】 1. bravery 2. courage 3. heroism ・ 勇気 : [ゆうき] 【名詞】 1. courage 2. bravery 3. valour 4. valor 5. nerve 6. boldness ・ 気 : [げ, き] 1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of
水原 勇気(みずはら ゆうき)は、水島新司の漫画『野球狂の詩』ほか数作品に登場する架空の人物。女性プロ野球選手。女性がプロ野球選手になるという発想はフィクションであっても当時としては奇抜かつ斬新であり現在でも下記の吉田えり、片岡安祐美のように女性プロ野球選手を目指す人の代名詞として使われている。 == 来歴 == アンダースローの左投手。女性初のプロ野球選手として、1975年東京メッツにドラフト1位で指名された。「医学上女性が支配下選手として登録出来ない」という当時の野球協約を乗り越えて入団する〔かつて現実世界の野球協約第83条第1項に「医学上、男子でない者は支配下選手になれない」という条文があった。現実世界では1991年にこの条文は削除されている。〕。 当時、アンダースローの左投手は日本プロ野球界には存在しなかった。球威はない〔ただし、高校時代にキャッチャー(男子)の手首を骨折させたというエピソードもある。〕がコントロールに優れ、後に「ドリームボール」という決め球を持つ。ストッパーとして、勝ち試合の9回2アウト2ストライクからの「1球限定」起用が多かった。 高校女子野球部に在籍中、東京メッツの岩田鉄五郎にその素質を見出される。プロ野球には全く興味がなく、獣医を目指して大学進学の受験勉強をしていた。入団の説得に日参する岩田を嫌い、ソデにし続けるが、岩田の「1年だけでいいから俺の夢を叶えてくれ」との涙ながらの訴えに心を動かし、入団を決意した。 ドリームボールは、2軍の捕手である武藤兵吉が、夢の中で水原が次々に空振りを取るのを見て考案したことからそう名づけられた。武藤が広島カープにトレードで放出された後、岩田がコーチを引き継ぎ、ボウリングを取り入れたトレーニングなどもあって水原はドリームボールを身につける。老練な岩田の策に則り、ドリームボールそのものの存在をも駆け引きに使い(メッツのチームメイトにすら「ドリームボールは存在しない」と思わせたことも)、ワンポイントリリーフとして多くの打者を討ち取る。武藤との対戦も、ドリームボールを待っていた武藤に対しドリームボールを使わずに討ち取るが、打倒ドリームボールの妄執に憑りつかれた武藤との再戦にはキャッチャー岩田鉄五郎の指示に従わずドリームボールを投げるも打たれてしまう。 ドリームボール以外ではシュートやカーブといった変化球も投げるが、元々は変化球を投げていたのではなく、水原のキャッチャーを務めた野球部の主将や帯刀守によれば、ストレートがバッターの手元で多彩に変化しているという 『野球狂の詩 平成編』において、40歳を超えて投手コーチ兼現役投手として復帰した。復帰後はかつてのチームメイト国立の娘・珠美を入団させた。2000年には少なくとも10セーブ以上を挙げ(10連続セーブの記述から)、13億でポスティングによりメジャー移籍かと騒がれた。2003年には岩田監督の負傷休養の間、やはり女性では初になる監督代行もつとめる。2005年の『野球狂の詩VS.ドカベン』では、『ドカベン』の主人公・山田太郎と日本シリーズで対決する。 『ドカベン ドリームトーナメント編』では広島東洋カープの選手として登場、師である武藤と再びチームメイトとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水原勇気」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|