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『水底の歌』(みなそこのうた)は、哲学者・梅原猛の著した柿本人麿に関する評論。副題は「柿本人麻呂論」。大佛次郎賞受賞作。 飛鳥時代の歌聖・柿本人麿は女帝・持統天皇によって流罪に処せられ刑死したとして、柿本人麿の和歌を、恋歌や挽歌を中心に悲劇的に見直す新しい解釈を示した。 1972年(昭和47年)6月から1973年(昭和48年)6月まで雑誌「すばる」(当時は季刊誌)に連載し、1973年11月に出版された。 == 内容 == 梅原猛は柿本人麿が大津皇子と同様に、何らかの政治事件に巻き込まれて流罪になり亡くなったとする説を立て、その説明として、今までの柿本人麿の人物に関する諸書の解釈の矛盾点を挙げつつ、数多くの文献から、人麿流罪説を裏付ける部分と解釈を示していく。 内容構成としては、先ず斎藤茂吉の示した、柿本人麿の亡くなった鴨山という地が石見国邑智(おうち)郡の粕淵の地であるとする説の矛盾点を挙げ、柿本人麿の晩年の歌に“水底”や“死”に関するイメージの多いことを中核に、状況証拠を挙げ、鴨嶋という海上の小島に流罪となり、亡くなった大胆な説を挙げる。 その次に、人麿の地位・年齢に関する賀茂真淵の解釈の矛盾点を挙げ、柿本人麿は柿本猨(さる、別名:猿丸大夫)と同一人物であり、地位も春宮大夫で天皇の側近くにある立場であった説を立てる。 そして人麿が正史に登場せず、歌集の中でのみ登場するのは、藤原政権による歴史隠蔽の為であり、逆に柿本猿が歌人として正史にありながら、その歌が残っていないのは、その歌が人麿の作として歌集に載っているためであるとする。そして“猨(猿)”とは“人”麿が政治事件に巻き込まれて罪人となった為に名づけられた蔑称であり、万葉集にその歌が載せられたのは、橘諸兄らによる怨霊の鎮魂と、藤原政権にたいする批判・牽制の意味合いがあったためであるとする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水底の歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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