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水木 襄(みずき じょう、1938年3月11日〔『日本映画俳優全集・男優編』キネマ旬報社、1980年、556頁。〕 - 1991年〔『デーリー東北新聞』2010年9月14日(火)付〕)は、日本の俳優。本名は石川 良昭(いしかわ よしあき)〔。東京市生まれ〔。明治学院大学卒業〔。 == 来歴・人物 == 大学3年生の1958年、木暮実千代の推薦で東映ニューフェイス4期生として東映へ入社。同期には佐久間良子・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいた。 同年、本名のまま、中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)主演、マキノ雅弘監督による『不敵なる反抗』でデビュー。以後、中村主演の一連の社会派不良少年物に助演した後、芸名を「水木 襄」と改め、山村聰監督の『母子草』に田中絹代の息子役で出演。純真で気性のしっかりした少年を演じる。また、『スピード狂時代 命を賭けて』で、木暮実千代の息子に扮し、オートバイにとりつかれた高校生の役で主演、'59年度エランドール賞 新人賞を受賞。 その後はアクション映画に愚連隊やチンピラ役で主演する一方、佐久間良子とのコンビで純愛映画に主演。60年代半ばからはスクリーンから遠ざかり、1964年テレビ映画『忍者部隊月光』に主演、同作の映画版に出演したのを最後に映画から離れる。以降はテレビを中心に活動し、特撮ドラマ『緊急指令10-4・10-10』『魔人ハンター ミツルギ』や、長寿ドラマ『特別機動捜査隊』にレギュラー出演した後、第一線から姿を消す。また、歌唱を得意としており〔『日本タレント名鑑'73』VIPタイムズ社、1973年、128頁。〕、数枚のシングルをリリースしていた。 引退後は、八戸市内の高級クラブ『貴族院』の支配人〔、東映が経営するホテルの支配人、不動産会社の営業部長、スナック経営をしていたが、1991年に自殺を図り、53歳で死去。遺体の発見された自宅には、自身の出演した作品のポスター等が所狭しと飾られていたという。〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水木襄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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