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水本 成美(みずもと なるみ〔、1831年6月24日(天保2年5月15日)- 1884年(明治17年)7月28日〔『明治過去帳』新訂初版、190頁。〕)は、幕末から明治期の薩摩藩士、律令学者、法制官僚。元老院議官。字・君之、号・樹堂、通称・保太郎〔「明治法制史上における水本成美」 64頁。〕。明治初期法曹界の卓越した律令学者であり復古的法学派の総帥〔『明治時代史大辞典 3』 531頁。〕。 == 経歴 == 江戸二本榎で生まれる〔。西島蘭渓、松崎慊堂から指導を受け、さらに昌平坂学問所で学ぶ〔。文久3年(1863年)薩摩藩から招聘され、慶応3年(1867年)夏に鹿児島に移り、重野安繹、今藤君容らと藩律改修に取り組む〔。 明治維新後、新政府に出仕し明治元年9月25日(1868年11月9日)徴士・議政官史官となり、同年10月25日(12月8日)明律取調を命ぜられた〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』 488-491頁。〕。その後東京に移り、明治2年1月19日(1869年3月1日)昌平学校教授に就任〔。以後、昌平学校一等教授、大学校一等教授、大学大博士、刑部大判事などを歴任〔。 明治2年3月20日(1869年5月1日)刑律取調を命ぜられ、村田保、鶴田皓、長野文炳、邨岡良弼等の補佐を受け、新律綱領を編纂した〔「明治法制史上における水本成美」 65-67頁。〕。 1876年4月8日、元老院議官に就任〔。訴訟法取調委員、民法編纂委員、海上裁判所訴訟規則審査委員、海上裁判所聴訟規則審査委員を務め、1881年10月31日、参事院議官となる〔。参事院では法制部長となり、諸法律の調査立案を担当した〔「明治法制史上における水本成美」 76-77頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水本成美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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