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中洲(なかす)は、岡山県倉敷市倉敷にある地区である。倉敷市立中洲小学校区とほぼ同じである〔厳密には、同学区には四十瀬の一部(山陽本線以北)と西阿知町の一部、さらには総社市清音黒田が含まれる。〕。 なお、旧中洲町と現在の中洲エリアとは範囲が異なっており、旧中洲町には現在の水江・酒津に加え、中島が加わる。現在、中洲エリアとなっている安江・八王寺町は大市村(のち万寿村)であった。 ==概要== 倉敷市中心市街地の北西部に位置する。地名は、当地の中心地区である酒津・水江が旧中洲町に属していたことに由来する。また中洲町は当時属していた酒津・水江・中島が、東西に分かれた高梁川の間に位置していたことが由来である。〔巌津政右衛門『岡山地名事典』日本文教出版社〕 エリアの地理は、総社市境や船穂地区との境界に山地がある以外は平地である。当地を北側から南西へ高梁川が流れており、川筋により東西に分断されている。〔岡山県大百科事典編集委員会『岡山県大百科事典』山陽新聞社〕しかし、現在では川より西には数件の住宅とその農地、墓地などがあるのみである。両岸を渡す渡船(後述)が酒津・水江にそれぞれあったが、利用者は通勤通学目的で1日数人程度であるため、酒津の渡しは2009年3月いっぱいで廃止となった。 中世後期までは、山地とその麓以外は吉備の穴海とよばれる海域であったが、徐々に干拓されていき、江戸時代中期には当地の全てが陸地化している。このとき、高梁川は当地北部の古地(総社市清音)で東西に分岐し、当地の西側と東側をそれぞれ南流していた。明治後期から大正期までの高梁川改修工事により、東西高梁川は廃川となり、このときに新しい川筋により当地が分断された。〔 東高梁川の廃川地は工場地や宅地や商業地として活用されている。 主要幹線道路である岡山県道24号・396号・428号が造成され、さらに平成には倉敷インターチェンジ付近から続く片側2車線の大型道路である岡山県道60号線などが造成され、大小のロードサイド店舗が並び発展した。 また、古くから米・麦・い草・野菜等の農業が盛んであったが、現在はほとんどが住宅地となっており、郊外型の市街地として人口が増加した。〔 他に醤油醸造業や豆腐製造業、花莚(かえん)、切り花なども盛んであったが、現在は衰退した。しかし、現在も古くから営業している企業もある。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中洲 (倉敷市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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