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水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 1996年4月8日)は、日本の地理学者、京都大学名誉教授、奈良大学学長。人文地理学を専攻し、伝統的地理学と計量革命後の計量地理学の止揚をめざし、「位相地理学」を提唱した。 ==経歴 == 山口市生まれ。山口県立山口中学校(山口県立山口高等学校の前身)、山口高等学校 (旧制)(山口大学の前身のひとつ)文科甲類に学び、1942年10月に京都帝国大学文学部史学科に進むが、学徒出陣により兵役に従う〔。復員、復学し、1946年9月に京都帝国大学を卒業し、その後は特別研究生として大学院に学んだ。 1952年に大阪市立大学講師となり、のちに助教授を経て、1959年に京都大学文学部助教授となった〔。1966年から1967年にかけて、在外研究でヨーロッパに赴き、ドイツ、スウェーデンに滞在した〔。1971年3月、「社会集団の生活空間 : その社会地理学的研究」により、京都大学より文学博士を取得。1971年11月、教授〔。 当初、京都大学内に事務局を置いていた人文地理学会では、1976年から1980年まで会長を2期務め、その後さらに再任されて1984年から1986年まで会長を務めた〔。その間、1981年から1983年まで、京都大学文学部長〔。1985年より1991年まで、日本学術会議会員(2期)〔〔。 1986年に京都大学を停年退官し、名誉教授、奈良大学教授〔。1988年から1994年まで、奈良大学学長〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 水津は京都大学に勤務していた時期以来、永く京都府宇治市に住んでいた〔〔。奈良大学学長退任後は、他のすべての公職から退いた上で、砺波散村地域研究所所長となった〔。1996年4月8日、京都府城陽市の病院で死去〔。没後に、従三位勲二等瑞宝章が追贈された〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水津一朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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