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水海城 : ウィキペディア日本語版
水海城[みずうみじょう]

水海城(みずうみじょう、みずみじょう)は、下総国葛飾郡水海(現在の茨城県古河市)にあった中世日本の城古河公方重臣・簗田氏の居城のひとつ。
== 概要 ==
水海は現在の古河市南端の利根川に面する地域で、当時は下総国(千葉県北部・茨城県西部)の下河辺荘に属した。同じ古河公方領国内の関宿城栗橋城はどちらも水海城から約4km、古河城も約8kmと近い。
南北朝時代末期に、鎌倉公方家臣・簗田氏が水海に入り、居城を設けたと考えられている。
下総旧事考』(清宮秀堅)によれば、築城時期は文明年間(1469-87)、築城者は簗田政助とされるが、根拠は明示されておらず、定かではない〔『そうわの寺院 II 』 56頁(日蓮宗水海実相寺について・内山 俊身 執筆)〕。
享徳4年(1455年)、第5代公方・足利成氏が古河に移座して古河公方になると、簗田氏はその重臣となり、本拠を関宿城に移したが、水海城も引き続き重要な拠点とされた。
水海城として、新旧2つの城があったと考えられている。新しい城は、天正2年(1574年)、簗田氏の嫡流の関宿簗田家が関宿から水海に戻った後に築城した。一方、古い城は水海にとどまっていた支流の水海簗田家の居城と伝わられている。現在の遺構は、どちらの城もほとんど失われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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