翻訳と辞書
Words near each other
・ 水無月祓
・ 水無月祓 (能)
・ 水無月祭
・ 水無月祭 (国領)
・ 水無月祭り
・ 水無村
・ 水無海浜温泉
・ 水無瀨神宮
・ 水無瀬
・ 水無瀬さんご
水無瀬信成
・ 水無瀬家
・ 水無瀬川
・ 水無瀬神宮
・ 水無瀬親信
・ 水無瀬離宮
・ 水無瀬駅
・ 水無灯里
・ 水無田気流
・ 水無神社


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

水無瀬信成 : ミニ英和和英辞書
水無瀬信成[みなせ のぶしげ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [む]
 【名詞】 1. nothing 2. naught 3. nought 4. nil 5. zero
: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

水無瀬信成 : ウィキペディア日本語版
水無瀬信成[みなせ のぶしげ]

水無瀬信成(みなせ のぶしげ/のぶなり)は鎌倉時代前期の公卿。参議正三位左中将。養父は権大納言坊門忠信〔実父は権中納言右衛門督水無瀬親兼であるが、後鳥羽院の仰せにより、坊門忠信の子となった。〕。実父は権中納言藤原親兼。母は宜秋門院女房備前〔源盛親の娘。『尊卑文脈』では源盛保の娘。〕。妻は参議吉田定経の娘。長男である親成は終生無位無官であった。二男信氏は従四位下侍従に至った。他に子として任快、親源、信弁がいる。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
建保2年(1214年)4月9日、侍従に任ぜられ、同日に従五位上に昇叙。同年7月13日、左少将に任ぜられる。建保3年(1215年)1月5日、正五位下に昇叙〔院御給。〕。同月13日、美作権介を兼ねる。同年4月11日、左中将に転任し同日に従四位下に昇叙。同年7月12日、従四位上に昇叙。建保6年(1218年)1月5日、正四位下に昇叙〔院当年御給。〕。同年12月9日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。建保7年(1219年)1月22日、備前権守を兼ねる。同年4月28日、従三位に叙せられる。承久3年(1221年)1月5日、正三位に昇叙。7月20日、恐懼に処せられる。8月8日には武士に捕らわれる。10月には放免されるが、12月に参議を停止される。延応元年(1239年)3月9日、出家〔前月の2月20日に後鳥羽院が隠岐で崩御したため。〕。弘長2年(1262年)、薨去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「水無瀬信成」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.