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水無瀬信成(みなせ のぶしげ/のぶなり)は鎌倉時代前期の公卿。参議正三位左中将。養父は権大納言坊門忠信〔実父は権中納言右衛門督水無瀬親兼であるが、後鳥羽院の仰せにより、坊門忠信の子となった。〕。実父は権中納言藤原親兼。母は宜秋門院女房備前〔源盛親の娘。『尊卑文脈』では源盛保の娘。〕。妻は参議吉田定経の娘。長男である親成は終生無位無官であった。二男信氏は従四位下侍従に至った。他に子として任快、親源、信弁がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 建保2年(1214年)4月9日、侍従に任ぜられ、同日に従五位上に昇叙。同年7月13日、左少将に任ぜられる。建保3年(1215年)1月5日、正五位下に昇叙〔院御給。〕。同月13日、美作権介を兼ねる。同年4月11日、左中将に転任し同日に従四位下に昇叙。同年7月12日、従四位上に昇叙。建保6年(1218年)1月5日、正四位下に昇叙〔院当年御給。〕。同年12月9日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。建保7年(1219年)1月22日、備前権守を兼ねる。同年4月28日、従三位に叙せられる。承久3年(1221年)1月5日、正三位に昇叙。7月20日、恐懼に処せられる。8月8日には武士に捕らわれる。10月には放免されるが、12月に参議を停止される。延応元年(1239年)3月9日、出家〔前月の2月20日に後鳥羽院が隠岐で崩御したため。〕。弘長2年(1262年)、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水無瀬信成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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