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水谷勝俊 : ウィキペディア日本語版
水谷勝俊[みずのや かつとし]

水谷 勝俊(みずのや かつとし)は、戦国時代から江戸時代前期の武将大名で、常陸下館藩の初代藩主。水谷治持の次男。
== 生涯 ==
永禄9年(1566年)、兄・正村と共に結城晴朝に従って上杉謙信と戦った。永禄12年(1569年)、正村の隠居により家督を継いだ。天正13年(1585年)には兄とともに下野国田野城を攻略して下野方面にも勢力を広げた。小田原征伐後、結城氏与力大名となる。なお、この時、晴朝の養子に徳川家康の次男・秀康を迎える話が出た際には、正村と家康の間にかねてより親交があった事から、勝俊が徳川氏との交渉に加わっている。文禄元年(1592年)からの文禄・慶長の役においては肥前名護屋城に駐留した。
関ヶ原の戦いにおいては、皆川広照の従弟にあたるという経緯から東軍に与した。このとき、息子が西軍に人質として捕らえかけられている。戦後、下野において佐竹義宣を牽制した功績を賞されて所領を安堵され、秀康が越前北ノ庄に転封されると正式な独立大名となった。慶長11年(1606年)6月3日、65歳で死去し、後を長男の勝隆が継いだ。

category:戦国武将


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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