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水谷 新太郎(みずたに しんたろう、1953年12月7日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 経歴 == 三重高校では遊撃手として1971年の第43回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で近大付の中司得三投手に抑えられ敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏の甲子園予選では三岐大会準決勝で長良高に敗れる〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。高校1期下のチームメートに左翼手の新谷嘉孝がいた。 1972年、ドラフト9位でヤクルトアトムズに入団。プロ入り2年目から右打ちを左打ちに変更し、4年目の1976年から遊撃手として一軍に定着した。1984年に遊撃手守備率史上最高(当時)の.991をマークするように、守備力に長けた選手であり、広岡達朗監督が事あるごとに絶賛していた。1978年優勝年のオフに広岡が「一人を除いて後はトレード要員だ」と発言したが、その「一人」とは水谷のことであった。打撃面でのひ弱さも徐々に克服し、1985年までレギュラーを任される。1986年は二塁手に回ったが、その後は段々と出場機会が減り、1990年限りで現役引退。 翌1991年はヤクルトの守備走塁コーチに就任。その後、2007年スカウトに転身し、東北担当として佐藤由規・山本斉の両高校生を担当していた。 2008年に横浜ベイスターズの内野守備コーチに就任し、2010年から2012年までは湘南シーレックスの内野守備走塁コーチを務めた。選手時代も含め、初めてヤクルト以外の球団に在籍することになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水谷新太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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