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水道橋 博士(すいどうばし はかせ、1962年8月18日 - )は、お笑い芸人で浅草キッドのメンバーである。本名は小野 正芳(おの まさよし)。 岡山県倉敷市出身。オフィス北野所属。身長161cm、体重53kg。 漫才師、コメンテーター、ライターとして雑誌にコラムやエッセイの執筆などを行っている。 == 来歴 == 岡山県の紙問屋の次男として生まれる。岡山大学教育学部附属中学校に進学。だが、勉強する意欲が起きなくなり、落ちこぼれる。中学校同級生にザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト、オウム真理教の中川智正がいる。 中学時代に、竹中労の著作を読んだことで、ルポ・ライターに憧れる。また、ブルース・リーや『空手バカ一代』などに大きな影響を受ける。 岡山県立倉敷青陵高等学校に入学。15歳から16歳で過敏性大腸症候群を患い1年留年。青春であるこの時期自分が何者なのか将来何者になるのか閉塞感と絶望で葛藤のはけ口を自慰行為、映画鑑賞に費やす中、少年期を過ごし同級の誰とも口を全く聞かず、19歳の高校3年生のときに始まったラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聞き始めてビートたけしに心酔〔『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、pp.35-36。水道橋博士インタビュー。〕。高校卒業後(および在学中)、長谷川和彦かビートたけしか、と師事先を悩むも〔NHKラジオ第1「すっぴん!」2012年11月〕「とにかくビートたけしに会えば何か展望が開けるに違いない」と漠然とした目的と何ら具体的な計画のないまま上京を目指し、北野の母校である明治大学経営学部に入学。同大学には4日しか通わず〔『オールナイトニッポン傑作選』p.39。水道橋博士インタビュー。〕単位を取得せずに4年間パチンコとアルバイトに明け暮れた〔木村元彦「現代の肖像 水道橋博士」『AERA』2006年1月30日号〕。生来の人間関係構築の不得手から、きっかけを切り出せないまま1986年にたけしの追っかけを7か月続けて『オールナイトニッポン』を放送する深夜のニッポン放送前に通い詰めた結果、他の追っかけ10人と共にたけしに弟子入りを認められる〔『オールナイトニッポン傑作選』pp.41-42。水道橋博士インタビュー。〕。その後、浅草フランス座で修業を積み、翌1987年玉袋筋太郎と浅草キッドを結成。上京がほぼ逐電に近いかたちであったため、帰郷するよう説得するべく親が東京に訪れるがことごとく拒否する。 1990年にテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週勝ち抜きチャンピオンに、1991年にテレビ東京『まねまね天国』の5週勝ち抜きチャンピオンになる。1991年に『オールナイトニッポン』の月曜第2部を開始、翌1992年にテレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』などに出演する。 1996年10月に、運転免許証を不正取得した事件で書類送検され〔目盛一喜「一般紙が報じた戦後の主な芸能界スキャンダル事件」『別冊宝島299 芸能界スキャンダル読本』宝島社、1997年、p.269〕〔「日本映画史年表」『映画百年 映画はこうして始まった』読売新聞文化部編集、キネマ旬報社、1997年、p.261〕、4か月の間謹慎・芸能活動自粛をした(詳細は#運転免許証不正取得事件)。謹慎期間中の1997年にパソコンとインターネットを独学で習得し公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。公式ホームページの開設は芸能人の中で早い部類に入る。「面倒臭いからいつやめるかわからない」と言っていた日記『博士の悪童日記』もほぼ欠かさず毎日更新し、ブログが浸透し始める頃には従来のログを移行。2007年時点で「芸能人ブログの最長記録を持つのは10年間毎日書きつづけている自分である」と自負しているほどである〔水道橋博士「オヤジ 父への私小説」『文藝春秋』2008年1月号、p140。〕。2009年9月30日放送『シルシルミシル』の「芸能人ブログのお初」にて日本初の芸能人ブロガーと認定された〔元祖・芸能人ブログは水道橋博士!! livedoorが選ぶ今日のブロガー 2009年9月30日〕〔Blogによると、ダウンタウンの松本人志に強い興味を持っているらしく、松本のラジオ番組『放送室』を第1回から欠かさずチェックしている。なお、2006年12月15日、『人志松本のすべらない話』収録後の打ち上げで、松本人志の横に座ることができ、宴席開始の深夜より朝まで質問攻めに成功している。〕。 2002年に12歳年下の一般女性と結婚。現在は3人の子供がいる。伊集院光など昔から仲の良い芸能人の話では、「女に飢えていておかしくなりそうな時期もあった」とのことである。ちなみに息子の名前に『たけし』と名づけ、師匠であるビートたけしの前でネタにし『ふざけんなコノヤロー!』と冗談交じりに言わせたことがあった。なお、娘の名前は高田文夫にあやかり、『文(ふみ)』である。 2004年、浅草キッドの名義で著した『お笑い男の星座2』が大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされ、ライターとしても評価を受ける。思春期の頃から竹中労に憧れ、ゴーストライターを使わず、全ての原稿を自分で執筆。ルポライター芸人の異名を取る〔。単独著の『博士の異常な健康』『筋肉バカの壁』も12万部の好セールスを記録している〔佐藤祥子「家の履歴書 水道橋博士」『週刊文春』2007年11月8日号〕。番組で共演していた石原慎太郎から文体を、三島由紀夫の影響を受けていると指摘されているが、水道橋自身は三島を読んだ経験はない〔水道橋博士「Y.INOUEの『昨日・今日・明日』とは何か?」『殺し 活字プロレスの哲人 井上義啓 追悼本』kamipro編集部編、エンターブレイン、2007年、p.237〕。2006年1月19日、フジテレビで25時から放送のバラエティ番組『北野タレント名鑑』に出演し4問正解。自己アピール時間の最中、これまで帽子ばかりかぶっていた理由は、実は髪の毛が異常に薄かったからだと、その写真とともに告白した。現在では、いろいろ試した増毛法の組み合わせが劇的な効果を上げた。それらの博士が健康になるまでの体験や秘訣を2006年の著書『博士の異常な健康』のなかで明らかにしている。 2000年代頃からは単独でコメンテーターとしても活躍しているが、2013年6月15日、レギュラー出演している「たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜」で当時大阪市長の橋下徹が出演した際、「視聴者は冷静だな。小金稼ぎのためのコメンテーターとは違う」と橋下が発言したことに対して、生放送中にもかかわらず「今回で番組を降ろさせてもらいます」と途中降板する一幕があった〔橋下氏の「小金稼ぎためのコメンテーター」発言に憤慨…水道橋博士が番組降板を宣言、生放送中に去る ] 産経新聞 2013年6月15日]〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水道橋博士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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