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水野 信元(みずの のぶもと)は、戦国時代の大名。水野忠政の次男。母は松平信貞(昌安)の女〔『刈谷市史』第2巻(1994年)では『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』と略す)に現れる「近守」を忠政の子から除外し、信元を長男としている。〕。初名は忠次。通称は藤四郎(藤七郎)。受領名は下野守。妻は松平信定の女。 == 経歴 == === 家督継承 === 天文12年(1543年)父・忠政の死去を受け水野宗家の家督を継ぎ、尾張国知多郡東部および三河国碧海郡西部を領した〔「新編東浦町誌 資料編3」295項(延命寺文書)、309項(無量寿寺文書)、「張州府志」巻30の正盛院の項、および「知多郡史」所載、文政10年「藤次郎」の250回忌が営まれたとの心月斎寺記(上巻187項)に拠る。〕。天文21年(1552年)3月8日付の善導寺への寺領寄進が信頼できる初見の記録である。異母妹に於大の方がおり徳川家康の伯父にあたる。 信元が家督を継いだときの水野氏は、小河(緒川)水野氏、刈谷(刈屋)水野氏、大高水野氏、常滑水野氏などの諸氏に分かれていた〔戦国時代によくある一族一揆といわれる形で、いずれも独立勢力でありながら、結束は固い。〕。 父・忠政は松平氏と共に今川氏についていたが、信元が緒川水野の家督を継いで間もなく松平家広、松平広忠に嫁いだ信元の姉妹が離縁されていることから、家督を受け継いだ当初より尾張国の織田氏への協力を明らかにしていたと考えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水野信元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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