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水野信古 : ミニ英和和英辞書
水野信古[ふる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand

水野信古 ( リダイレクト:水野守信 ) : ウィキペディア日本語版
水野守信[みずの もりのぶ]
水野守信(みずの もりのぶ、天正5年(1577年) - 寛永13年12月25日1637年1月21日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将江戸幕府旗本寄合大目付。幼名は新七郎。通称は半左衛門。従五位下、河内守。水野守次の子。母は、側室の北小路公頼の娘菊とも、水野信元の娘とも。正室は有馬豊氏の娘。子女は荒尾重就(松平相模守家臣)室、兵助(早世)、水野守政(養子、娘の子)、清三郎(早世)、成瀬正勝室、織田信当室、徳山重政室(のち離縁)。
母の菊と祖父の公頼の養育される。徳川家康に仕え、会津征伐に従軍。旗本として3500石を賜る。慶長10年(1605年)の徳川秀忠上洛の際には供をしている。書院番を務め、元和3年(1617年)には、使番となり、寛永3年(1626年)、長崎奉行に就任。キリシタンの取締りを強化し、踏み絵を考案したのも守信といわれている。寛永5年(1628年)2月2日、大坂町奉行、寛永6年(1629年)2月6日より堺奉行を兼任する。寛永9年(1632年)12月17日、秋山正重柳生宗矩井上政重とともに総目付に任じられた。これが大目付の起源である。寛永11年(1634年)1500石を加増される。
寛永13年(1637年)死去。法名は全叟宗元。自身が開基した京の嵯峨天龍寺の塔頭永明院に葬られる。家督は養子の守政が継い
だ。
== 参考文献 ==

*『寛政重修諸家譜 巻第339』




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「水野守信」の詳細全文を読む




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