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水野忠分 : ミニ英和和英辞書
水野忠分[みずの ただわけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [ぶん, ふん]
  1. (n,n-suf,pref) (1) part 2. segment 3. share 4. ration 5. (2) rate 6. (3) degree 7. one's lot 8. one's status 9. relation 10. duty 1 1. kind 12. lot 13. (4) in proportion to 14. just as much as 1

水野忠分 : ウィキペディア日本語版
水野忠分[みずの ただわけ]
水野 忠分(みずの ただわけ、もしくは、みずの ただちか、天文6年(1537年)-天正6年12月8日1579年1月14日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。藤二郎(藤次郎、藤治郎とも)。水野忠政の8男〔『寛政重修諸家譜』(新訂6巻85項)より。乾坤院所蔵の「水野家法名一覧」(寛政2年の編纂で「東浦町誌・資料編3」所収)では「藤治郎」は忠政7男とされる。しかし、水野近守を忠政の子から除外する立場(「刈谷市史」第二巻、1994年)では、忠政の6男とする。〕といわれ、兄弟に水野信元於大の方がいる。子に分長重央義忠松平勝政、次女(松平家忠室)がいる。
== 人物 ==
天文年間(1532年1555年)、布土城(愛知県知多郡美浜町大字布土字明山)主であったと伝えられるが、その経緯は明らかではない。
織田信長配下として天文23年(1554年)の村木砦の戦い(信元を除く兄弟のうち緒川居住の可能性と年齢、信長直属であることから『信長公記』の「水野金吾」を忠分とする)や永禄元年(1558年)の石ヶ瀬川の戦い〔『寛政重修諸家譜』の水野忠重の項〕といった今川氏との戦闘に参加。しかしその後の動向は信長に従ったという以外不明である。ただ、佐久間信盛の居所であった山崎城名古屋市南区呼続元町)下に屋敷を構えていたこと、兄・信元殺害後は緒川城下にも屋敷を持っていたことが『家忠日記』の記述より推測されるという。
天正6年(1579年)に、荒木村重の立てこもる摂津国有岡城攻め(有岡城の戦い)において戦死。享年42。墓所は愛知県東浦町乾坤院。法名は盛龍院殿心得全了大居士。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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