翻訳と辞書
Words near each other
・ 水野忠篤
・ 水野忠篤 (鶴牧藩嫡子)
・ 水野忠精
・ 水野忠義
・ 水野忠職
・ 水野忠胤
・ 水野忠興
・ 水野忠良
・ 水野忠見
・ 水野忠誠
水野忠輝
・ 水野忠辰
・ 水野忠邦
・ 水野忠重
・ 水野忠隣
・ 水野忠韶
・ 水野忠順
・ 水野忠鼎
・ 水野恵
・ 水野恵 (篆刻)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

水野忠輝 : ミニ英和和英辞書
水野忠輝[みずの ただてる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 

水野忠輝 : ウィキペディア日本語版
水野忠輝[みずの ただてる]
水野 忠輝(みずの ただてる、元禄4年5月22日1691年6月18日) - 元文2年7月2日1737年7月29日))は、江戸時代中期の大名。三河国岡崎藩の5代藩主。忠元系水野家6代。水野忠之の次男。正室は井上可安(井上正任の子)の娘(井上正岑の養女)。子は水野忠辰(長男)、水野忠則(次男)、水野忠勧(三男)、娘(阿部正敏正室)。右衛門大夫、右衛門佐、大監物。
宝永元年(1704年)、将軍徳川綱吉に初御目見し、従五位下右衛門大夫に任官した。正徳2年(1712年)に右衛門佐に改める。享保14年(1729年)には大監物に改め、翌享保15年(1730年)に父・忠之の隠居に伴って藩主に就任した。享保18年(1733年)には領内治世を賞せられた。元文2年(1737年)岡崎にて死去した。跡を長男の忠辰が継いだ。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「水野忠輝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.