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『永すぎた春』(ながすぎたはる)は、三島由紀夫の長編小説。永すぎた婚約期間中の男女の紆余曲折と危機を描いた作品である。同時に平行して連載された『金閣寺』とは趣が正反対の明るい青春の恋愛小説で、主人公のカップルのように、婚約期間の長い恋人の倦怠や波乱を指す「永すぎた春」という言葉は流行語となった〔奥野健男『三島由紀夫伝説』(新潮文庫、2000年)〕。“January” から“December” までの12か月の章に分かれ、二人の間に起こる大小さまざまな恋の危機が、巧妙な逆説と洒脱な風味で描かれている〔十返肇「解説」(文庫版『永すぎた春』)(新潮文庫、1960年。改版1988年)〕。 1956年(昭和31年)、雑誌『婦人倶楽部』1月号から12月号に連載された。単行本は同年12月25日に大日本雄弁会講談社(現・講談社)より刊行され、15万部のベストセラーとなった〔佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)〕。文庫版は新潮文庫で刊行されている。翌年1957年(昭和32年)5月28日には、若尾文子と川口浩主演で映画も封切られた。 == あらすじ == T大法学部に通うまじめな大学生・宝部郁雄は、学校門脇の古本屋「雪重堂」の娘・木田百子と去年の春に出会い恋仲となり、二人はようやく親の許しを得て今年の1月15日に婚約できた。しかし結婚は、郁雄が来年3月大学を卒業してからという条件であった。二人は接吻だけの関係だったが、お互いの家に気軽に遊びに行き、夫婦のように公認されるようになった。小さな嫉妬や親戚にまつわる両家のいざこざはあったが順調だった。 4月のある日、二人は郁雄の知人の画家・高倉の個展会場で待ち合わせをした。先に来ていた郁雄はそこで、30歳近い美人画家・本城つた子を紹介された。百子が遅いので、郁雄はつた子に誘われ喫茶店に行った。そのとき百子は嫉妬の態度を示さなかったが、その後、不安な百子は結婚前に体を許してもいいと郁雄に言ったりするようになった。つた子の誘惑に悩まされていた郁雄は、百子の純潔を守る代わりに、ついに、つた子のアパートへ行くことに決めた。郁雄は年上の学友で妻帯者の宮内にそのことを相談したが、「危なくて見ちゃおれんね、君はエゴイズムで動いているんだが、それを性欲と思いちがえている」とだけ言い、具体的な忠告はなかった。アパートで郁雄がつた子を待っていると、宮内が百子を連れて現われた。そこへ、つた子も加わり、宮内は郁雄に、百子とつた子のどっちを選ぶのか対決をせまった。郁雄ははっきりと百子を選んだ。 百子の兄で小説家志望の東一郎がひどい盲腸で入院した。東一郎は附添の美人看護婦・浅香さんと結婚したいと言い出し、郁雄の母・宝部夫人の仲介もあり、当初反対していた木田夫婦も了承した。しかし浅香さんの母・つたは、単なる未亡人の貧しい素朴な小間使いではなく、元・花柳界で女中か何かをしていた海千山千の強かな女で、木田一家や、宝部家に嫁ぐ百子に対する妬みやひがみの心性を隠していた。また、自分の娘の幸せに対してまで羨望を抱くひねくれた老女だった。百子はつたの陰謀で、郁雄のプレイボーイの友人・吉沢に強姦されそうになった。あやうく逃れた百子だったが、この一件で宝部夫人は、つたと親戚関係になるのを拒絶し、東一郎と浅香さんが結婚するなら、郁雄と百子の結婚を許さないと、東一郎に言った。 母親・つたの失態のせいで、木田家に来なくなった浅香さんのアパートを東一郎と百子が訪ねた。ちょうど、つたも居て、浅香さんは母親をかばうようなことを言い、自ら東一郎に嫌われるようにした。百子にはそれが解ったが、東一郎は激昂して別れを決め、その足でまっすぐ宝部家に報告しに向かった。百子と郁雄は婚約破棄にならずに済んだ。百子は浅香さんの心情を兄に教えなかったことに自分のエゴイズムをみて、そのことを郁雄に相談した。しかし郁雄は、東一郎兄さんは浅香さんが偽りの愛想づかしを言うことを知っていて、あえて別れの行動に移れるようにしたんじゃないかと言い、兄さんが一緒に百子を連れてアパートに行ったのもそのためで、自分たちが結婚できるようにしてくれたんだと解釈した。百子と郁雄は、それをありがたく感謝し、素直に幸福をもらおうと誓い合った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永すぎた春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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