翻訳と辞書
Words near each other
・ 永嘉県
・ 永嘉門院
・ 永国
・ 永国 (土浦市)
・ 永国台
・ 永国台 (土浦市)
・ 永国寺
・ 永国東町
・ 永国東町 (土浦市)
・ 永地
永地秀太
・ 永坂
・ 永坂勇人
・ 永坂悠
・ 永坂更科 布屋太兵衛
・ 永城
・ 永城市
・ 永城県
・ 永堀一恵
・ 永堀剛敏


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

永地秀太 : ミニ英和和英辞書
永地秀太[ながとち ひでた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 

永地秀太 : ウィキペディア日本語版
永地秀太[ながとち ひでた]

永地 秀太(ながとち ひでた、1873年7月15日 - 1942年12月14日)は明治期の洋画家(旧姓・有吉)。
* 太平洋画会 創立メンバー *出典2
* 陸軍嘱託画家 *出典3
* (文展帝展)審査員 *出典2
* 東京高等工芸学校教授
* レジオンドヌール勲章 日本人受賞者
* 山口県下松市出身
== 経歴 ==

* 1873年 山口県下松市(現周南市)代々造り酒屋を営む有吉家に生まれる 徳山中学卒業後上京本多錦吉郎 の画塾 彰技堂で学ぶ。
* 1892年-1895年 明治美術会附属教場 入学-卒業 松岡壽に師事。 
* 淑徳女学校教員 永地マチゑ(山口県山口市大内村出身)と婚姻、入り婿となり、以後「有吉」から、「永地」( 読み「ながとち 」)姓を名乗る( 太平洋画会の作品記録に「有吉秀太」として残っているものもある)。
* 1902年 太平洋画会創設に参加。*出典2 東文研アーカイブ
* 1920年-1923年 文部省在外研究員として主にフランス、アメリカを外遊• 視察。
* 陸軍幼年学校教員 陸軍嘱託画家 *出典3
* 文展審査員。
* 1922年 東京高等工芸学校(現・千葉大学)工芸図案科教授就任。 仏国官設美術展準備委員会委員。
* 1924年 12月14日 淀橋区(現新宿区下落合)目白文化村 (落合文化村)の自宅で脳溢血で死去。
* 同年フランス政府よりレジオンドヌール勲章授与。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永地秀太」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.