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永田 拓也(ながた たくや、1990年9月8日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身のサッカー選手。ポジションは左サイドバック。浦和南高校卒業。Jリーグ・横浜FC所属。 == 来歴 == 小学4年生までは野球チームに所属(ポジションは投手)。その後、三室サッカースポーツ少年団を経て、中高生年代では、ジュニアユース、ユースと浦和レッドダイヤモンズの下部組織に所属。 ジュニアユース時の2005年には高円宮杯U-15、ユース時の2008年には高円宮杯U-18でそれぞれ優勝を飾っており、山田直輝や高橋峻希、原口元気、濱田水輝らと共に、「浦和ユース黄金世代」と呼ばれる選手の1人。高円宮杯U-18決勝では、アシストも記録している。また、サテライトでも2007年には3試合、2008年には1試合に出場している。 2009年に山田、高橋、濱田とともにトップに昇格〔レッズユース4選手、加入内定について 〕。プロ初のベンチ入りは同年5月3日、ナビスコカップ第4節、対新潟戦。6月3日、ナビスコカップ第5節磐田戦の前半8分、負傷退場した三都主アレサンドロに代わり途中出場。これがプロデビュー戦となった。次節の6月13日、ナビスコカップ第7節大宮戦(第6節は浦和の試合はなかった)では発熱を押して、初のスタメン出場。後半12分、エジミウソンの4点目をアシスト。これがプロ初アシストとなった。リーグでのデビュー戦は、6月27日のJ1第15節神戸戦。前節で坪井慶介が負傷したのを受け、スタメンで出場した(ボランチで起用されていた阿部勇樹がセンターバック、左サイドバックで起用されていた細貝萌がボランチ、永田が左サイドバックに入った)。 7月23日、7月31日から8月7日まで韓国の水原で開催される水原国際ユースに出場するU-20日本代表に、ユースの先輩でチームメイトの大谷幸輝とともに選出された〔U-20日本代表 〕〔U-20日本代表 水原国際ユース 〕。 2010年は左サイドバックに宇賀神友弥、サヌの加入、堤俊輔(後に熊本へ期限付き移籍)が長期離脱の大怪我から復帰、左右のサイドバックをこなせる平川忠亮、緊急時には同じく左右のサイドバックをこなせる細貝萌といった面々がいたため、公式戦出場は天皇杯第2回戦、対東京国際大学戦の後半途中から出た1試合にとどまり、2010年12月6日にJ2のザスパ草津への期限付き移籍が発表された〔永田拓也、ザスパ草津に期限付き移籍 〕。 2012年1月7日、浦和より期限付き移籍期間を延長し、36試合出場した。2013年、移籍期間満了に伴い2年間在籍した草津から浦和に復帰した〔永田拓也 期限付き移籍から復帰のお知らせ 〕。 2013年は、チームの選手層の厚さからゲーム形式の練習からも外され、天野賢一の下岡本拓也・野崎雅也と共に、個別に2部練習に取り組んでいる。2013年をもって契約満了になりレッズを去る。 2014年、横浜FCへ移籍〔DF永田拓也選手浦和レッズ(J1)より完全移籍加入のお知らせ 横浜FC公式サイト 2013年12月25日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永田拓也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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