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永田 昌弘(ながた まさひろ、1958年1月24日 ‐ )は、日本の学生野球監督。 == 経歴・人物 == 豊橋市立栄小学校、豊橋市立南部中学校を経て、高校は中京(現中京大学付属中京高等学校)に進学〔永田監督が就任 2013年12月17日閲覧。〕。1975年(昭和50年)第47回選抜高等学校野球大会に同校内野手としてベンチ入りした。国士舘大学では東都大学野球連盟1部リーグで優勝を経験、卒後は東京ガス硬式野球部で都市対抗野球大会に3年連続で出場した。 1983年(昭和58年)に国士舘高等学校野球部監督に就任すると23年間で甲子園春夏出場8回(通算10勝8敗)、明治神宮野球大会高校の部出場4回(優勝1回)の強豪に育て上げた。 2006年(平成18年)春から国士舘大学硬式野球部の監督に就任し、1995年秋季リーグで2部へ降格以降、低迷期に喘いでいた野球部の再建に乗り出し、その結果3年後の2009年(平成21年)秋季リーグで優勝、1部との入替戦で青山学院大学を下して30季ぶりの1部復帰を果たす〔2013年12月18日閲覧。〕。翌2010年(平成22年)は秋季リーグで最下位となり、入替戦でも日本大学に連敗して再び2部に降格した〔東都大学野球連盟〕。 * 1976年、国士舘大学政経学部に進学、硬式野球部で内野手としてプレー。 * 1979年、4年生の時に主将として東都大学野球リーグ秋季1部リーグ優勝。 * 1980年、東京ガス硬式野球部入社後、都市対抗野球大会に3年連続で出場。 * 1983年、26歳で国士舘高等学校野球部監督に抜擢され就任。 * 1990年、監督就任8年目の秋季東京都高校野球大会で初優勝。東京都代表として第21回明治神宮野球大会高校の部に初出場、初優勝。 * 1991年、エース菊池裕介、主砲石渡晃弘らを擁して第63回選抜高等学校野球大会初出場、ベスト4。 * 1993年、エース池本陽輔、選手宣誓を務めた主将佐藤則之らを擁し第65回選抜高等学校野球大会に2度目の出場と連続ベスト4に導く。 * 1996年、エース高野修平、主砲吉川章弘らを擁し第68回選抜高等学校野球大会に3度目の出場を果たしてベスト8。 * 1997年、エース掛江雅之、捕手山田耕平らを擁し第69回選抜高等学校野球大会に2年連続4度目の出場。 * 1998年、エース山本篤史、主砲松本匡らを擁し第70回選抜高等学校野球大会に3年連続5度目の出場。前年秋の第28回明治神宮野球大会高校の部で、高校野球4冠を達成した松坂大輔擁する横浜と対戦、2安打に抑えられたが2得点した。 * 2000年、エース小島心二郎、主砲大木拓哉らを擁し2年ぶり6度目となる第72回選抜高等学校野球大会出場。 * 2003年、エース新垣勇人、2年生投手久古健太郎、泉尚徳らを擁し3年ぶり7度目となる第75回選抜高等学校野球大会に出場。 * 2005年、エース山形研二、長距離砲藤嶋寛文、高橋智史、厚史の双子の俊足コンビらを擁して初めて夏の大会を制して第87回全国高等学校野球選手権大会に悲願の初出場を果たした。初戦で優勝候補天理を延長の末下し勝利したが、次戦の最速150キロを投げ込むサウスポー柳田将利擁する青森山田に敗退した。 * 2006年、国士舘大学硬式野球部の監督に就任。 * 2009年、エース岩澤正登、主将高橋智之らを擁して秋季2部リーグで優勝。入替戦でも青山学院大学を連勝で下して30季ぶりの1部昇格を果たす。 * 2010年、東都大学野球連盟1部復帰最初のシーズンは5位。秋季は最下位となり入替戦でも日本大学に連敗して再び2部に降格した。 国士舘大学硬式野球部監督就任後はその環境整備、たとえばグラウンド形状の再配置や人工芝化、夜間照明等、練習環境の改善にも地道に取り組んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「永田昌弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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