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永田耕衣 : ミニ英和和英辞書
永田耕衣[ながた こうい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ころも]
 【名詞】 1. clothes 

永田耕衣 : ウィキペディア日本語版
永田耕衣[ながた こうい]
永田 耕衣(ながた こうい、1900年明治33年)2月21日 - 1997年平成9年)8月25日)は、俳人。本名軍二(ぐんじ)。別号、田荷軒主人。的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
== 生涯 ==

=== 形成期 ===
兵庫県加古郡尾上村今福(現・加古川市尾上町今福)に生まれる。父は農業兼村役場吏員。父は岩田姓だが、6歳のとき母の妹永田てい子の養子となり、父母と同居したまま名義のみ母系永田姓を継いだ。尾上村立尾上尋常高等小学校尋常科、同高等科を経て、1917年、兵庫県立工業学校(現・兵庫県立兵庫工業高等学校)機械科を卒業。文芸を好み、工業高校では同級生と回覧誌を作る。新派悲劇や映画にも親しんだ。卒業後三菱製紙高砂工場に技手補として就職、以後15年間夜勤につく。また社内クラブの謡曲部に入り、観世流謡曲と都山流尺八を習った。1919年、作業中に抄紙機に右手を巻きこまれ、三指の自由を半ば失う。このため後に兵役免除となった。治療を兼ねて郷里に滞在中、泉福寺で行われた師家雲水の禅問答を聞き、このことを契機にに興味を抱くようになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永田耕衣」の詳細全文を読む




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