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永田良吉 : ミニ英和和英辞書
永田良吉[ながた りょうきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

永田良吉 : ウィキペディア日本語版
永田良吉[ながた りょうきち]

永田 良吉(ながた りょうきち、1886年(明治19年)9月14日 - 1971年(昭和46年)5月11日)は、日本政治家、元衆議院議員、旧・鹿屋市長〔現在の鹿屋市は、2006年に旧鹿屋市・吾平町・輝北町・串良町が合併し発足した自治体であり、1941年-2005年に存在した鹿屋市とは別の自治体として扱われる。すなわち第2代鹿屋市長は2人いることになる(旧・鹿屋市 - 永田良吉、現・鹿屋市 - 嶋田芳博)。〕(第2・6・7代)。
鹿児島県肝属郡大姶良村〔1941年に鹿屋町花岡村と合併し、鹿屋市の一部となる。〕西俣〔大字名としての「西俣」は1950年に消滅している。1950年以前の永野田町は「西俣の一地域」という扱い。〕(現・鹿屋市永野田町)出身。大姶良村会議員、大姶良村長、鹿児島県議会議員を経て、衆議院議員、鹿屋市長を歴任した。通称・飛行機代議士〔文献上では「ヒコーキ代議士」と表現されることが多い。〕・請願代議士〔在任中の請願件数は2000件を超えた。特に1945年6月の国会では全61件中27件が永田によるものであった。〕。現在の海上自衛隊鹿屋航空基地を始め、高隈ダム星塚敬愛園を鹿屋市へ誘致した人物である。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
1886年9月14日の午前9時に、3人兄弟の末っ子として誕生。永田家は西俣の大地主であったが、士族ではなく平民の身分であった。
1893年、西俣簡易小学校へ入学するが、同年中に南小学校に統合され、永野田の者は鹿屋村の田崎尋常小学校へ転校することになった。ところが永野田で赤痢が流行し、田崎小学校の関係者が感染拡大を嫌ったため、姶良村(後の吾平町)の吾平尋常小学校へ再転校した。卒業後は鹿屋農学校(現在の鹿屋農業高校)を経て、3年次に県立加治木中学校(現在の加治木高校)へ転校し、1906年3月に5番目の成績で卒業する。
1906年4月からは南尋常小学校で8か月ほど代用教員を勤め、一年志願兵制度〔通常、兵役は3年であったが、中学校(旧制)以上を卒業した者は一年志願兵制度を用いることで、特例としてその期間を1年に短縮することができた。徴兵令も参照。〕を用いて兵役に従事する。1908年11月に姶良村出身のツルマルと結婚。1909年からは吾平尋常小学校の代用教員を3年間勤めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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