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潮錦 義秋(しおにしき よしあき、本名:村上 義秋(むらかみ よしあき)、1924年9月25日 - 2005年6月24日)は、熊本県熊本市南区(現役当時は、同県下益城郡城南町)出身で、1950年代に活躍した大相撲力士である。現役時代は、時津風部屋(入門時は荒汐部屋)に所属した。最高位は西張出小結(1959年7月場所)。身長183cm、体重110kg。得意手は左四つ、上手投げ。 == 来歴・人物 == 16歳の時に荒汐部屋へ入門し、1941年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。 三段目に在位中、荒汐部屋から双葉山道場(後の時津風部屋)に移籍。 途中で兵役で長く土俵を離れたこともあって出世が遅れ、十両昇進を果たしたのは、1948年10月場所。新入幕は1952年1月場所でのことで、この時、すでに27歳となっていた。 力が強く仁王のような風貌から「仁王様」という渾名が付いたが、相撲ぶりはゆっくりで、廻しを掴まないと相撲にならなかった。そのため、「がっぷりからはじめれば強いのだが」と評された。 また栃錦と若乃花(ともに横綱)を苦手としており、この2人からは一度も白星を挙げられなかった。 それでも、幕内上位にあった1959年5月場所では、新横綱の朝汐に土を付けるなどの活躍で9勝6敗と勝ち越して殊勲賞を受賞(なお、34歳7ヵ月での三賞初受賞は、2015年3月現在でも最年長記録である)。翌7月場所、初土俵から18年かけて34歳で小結に初昇進した。これは、年数では昭和以降に於いてもっともスローペースの新三役昇進であった。 しかし、同場所では3勝12敗と大負けし、三役はこの1場所しか務まらなかった。 1961年9月場所、十両に落ちて6日目から途中休場し、十両18枚目の地位で初日より休場した翌11月場所限りで引退。引退後は、年寄・式秀を襲名した。 日本相撲協会では勝負審判を長く務め、停年まで協会に在籍した。 2005年6月24日、逝去。享年80。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「潮錦義秋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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