|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 汚い : [きたない] 【形容詞】 1. dirty 2. unclean 3. filthy ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦争 : [せんそう] 1. (n,vs) war
汚い戦争(きたないせんそう、スペイン語:Guerra Sucia)とは、1976年から1983年にかけてアルゼンチンを統治した軍事政権によって行われた国家テロである。左派ゲリラの取締を名目として労働組合員、政治活動家、学生、ジャーナリストなどが逮捕、監禁、拷問され、3万人が死亡または行方不明となった。 ==歴史== 「汚い戦争」の始まりについてははっきりしない。1975年にキューバなどからの支援を受けた共産主義ゲリラの人民革命軍(Ejército Revolucionario del Pueblo)に対してトゥクマン州を舞台に行われたアルゼンチン軍の弾圧が発端であるとする意見もある。 ERPはアルゼンチン国内でも特に貧しい山岳地帯であるトゥクマン州を「革命の本拠地」にしようと試み、州の3分の1を支配下においていた。ERPに呼応してモントネーロスも都市部におけるテロを繰り返した。大統領のイサベル・ペロンは「殲滅指令」を布告し「トゥクマン州における破壊分子を殲滅するために軍は全ての必要な手段をとる」よう命じた。軍は独立作戦 (Operativo Independencia) を実行し、特殊部隊を含めた歩兵と空軍を動員してゲリラとの戦闘を開始し、その過程でゲリラの支配下にある町を破壊し住民に危害を加えた。 1975年9月にイザベル・ペロンが病気療養のために一時的に職を離れるとÍtalo Argentino Lúderが大統領代行となった。翌10月にフォルモサ州の歩兵連隊宿舎がモントネーロスに攻撃され(Operation Primicia)、28人の死者が発生した。Lúderは国内治安協議委員会を設立し、トゥクマン州で行われていたゲリラ鎮圧作戦を国内全体に拡大させることを決定した。国内は5つの軍管区さらにその下位地区に分けられ、それぞれの地域の治安を軍の司令官が実質的に掌握した。右派民兵組織であるアルゼンチン反共同盟も加わって軍の弾圧とそれに対するゲリラ攻撃が繰り返された。 1976年3月24日に軍の高官によるクーデターが発生した。陸軍のホルヘ・ラファエル・ビデラ、海軍のエミリオ・エドゥアルド・マッセラ、空軍のオルランド・ラモン・アゴスティが権力を掌握した。彼らは軍事政権を国家再編成プロセス (Proceso de Reorganización Nacional) と名付け、ビデラとその後の軍事政権指導者であるロベルト・ビオラとレオポルド・ガルチェリ、レイナルド・ビニョーネによる各政権によって労働組合員らを中心に学生や活動家数千人が違法逮捕、拷問、殺害、強制的に拉致される等、様々な弾圧が行われた。 軍事政権が民衆の支持を獲得する目的で行ったフォークランド戦争は敗北に終わり、政権維持はもはや不可能であることが明らかになった。1983年10月30日に総選挙が行われラウル・アルフォンシンが当選した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「汚い戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|