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藤沢市江の島サムエル・コッキング苑(ふじさわしえのしまサムエル・コッキングえん)は、神奈川県藤沢市江の島二丁目にある、藤沢市立の有料観光施設。苑内に江ノ島電鉄の経営する江の島展望灯台などを含む。 == 沿革 == *1880年(明治13年) - 横浜在住のアイルランド人貿易商のサムエル・コッキングが金亀山与願寺(現在は神仏分離され江島神社)の菜園敷地3800坪を買収する。 *1882年(明治15年) - 植物園として開園。日本で3番目に古い植物園である。敷地面積は約18,000m²。 :この後、時代の変遷や1923年(大正12年)の関東地震により、荒廃する。 *1947年(昭和22年)4月1日 - 江の島を含む鎌倉郡片瀬町、藤沢市に編入。藤沢市は江の島の観光地開発に乗り出す。 *1948年(昭和23年) - 上記跡地を、藤沢市が買収。 *1949年(昭和24年)12月 - 藤沢市海洋総合博物館建設計画の一環として「藤沢市立江ノ島熱帯植物園」を開設。 *1950年(昭和25年) - 江ノ島熱帯植物園、江ノ島鎌倉観光(後の江ノ島電鉄)の委託経営となり、「江の島植物園」と改名。 *1951年(昭和26年)3月25日 - 江ノ島鎌倉観光が東京都世田谷区二子玉川の読売遊園(後の二子玉川園)にあった落下傘塔を江の島植物園内に移築し、「読売平和塔」という展望台を兼ねた民間灯台(江の島灯台)を建設した。 *:読売遊園の落下傘塔はロープのついた落下傘で降下する遊戯施設で、戦時中は陸軍が実際の落下傘降下の訓練に利用した。江の島の読売平和塔は材料を利用したもので、形態はかなり違う。 *:同年、伊豆大島から連れてきた54匹のタイワンリスを江の島植物園で飼育。後に台風で飼育小屋が壊れて逃げ出し、江の島弁天橋を渡って鎌倉市内に入り込んで繁殖するようになったといわれる。 *1959年(昭和34年) - インドネシアスラウェシ島のトラジャ族の家屋を模した「南方民俗館」を開設。 *:この頃から読売平和塔は江の島灯台と呼ばれるようになる。 *1964年(昭和39年) - 江の島植物園、再び藤沢市の運営となる。 *1971年(昭和46年) - 江の島植物園内のクックアロウカリア、シマナンヨウスギ、タイミンチク群、ツカミヒイラギの4種、藤沢市指定天然記念物に指定。 *1994年(平成6年) - 江の島植物園(ツバキ)、かながわ花の名所100選に選定。 *1999年(平成11年)11月7日 - 藤沢青年会議所、「いいじゃん江ノ島JYAN JYAN 祭り」を開催。 *:このイベントは江の島灯台の解体撤去の噂が流れたため、保存アピールのため企画された。 *2002年(平成14年) - 江の島植物園改修工事のため閉園。工事現場から縄文土器類1万点が出土。さらにサムエル・コッキングの建設した温室設備を発見。 *:江ノ島電鉄は、同社開業100周年記念事業として新江の島展望灯台建設に着手。 *:同年12月31日 - 江ノ島電鉄開業100周年記念事業のフィナーレとして点灯式において江の島展望灯台、初点灯。 *2003年(平成15年)1月 - 旧江の島灯台に隣接して新たに建設された江ノ島電鉄所有の江の島展望灯台、オープン。その後、1951年に建てられた江の島灯台は解体された。 *:同年4月29日 - 整備後、藤沢市の公園施設「江の島サムエル・コッキング苑」としてオープン。 *:同年10月28日 - 江の島展望灯台、第48回神奈川建築コンクール一般建築部門奨励賞受賞。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江の島サムエル・コッキング苑」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Samuel Cocking Garden 」があります。 スポンサード リンク
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