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T・エナミ (T. Enami) の通称で知られた江南 信國(えなみ のぶくに、1859年 – 1929年)は、明治期日本の写真師(写真家)。通称の「T」は、「トシ」という名の頭文字ともいわれるが、江南自身は「T」にあたる名を略さずに記すことはなかった。 == 経歴 == 幕末の江戸に生まれた江南は、有名な写真師で、コロタイプ (collotype) 印刷技術者であった小川一真の最初の弟子となり、次いで助手となった。江南は後に横浜へ移り、弁天通に写真スタジオを構えた。同じ通りの数軒先には、既に有名になっていた玉村康三郎のスタジオもあった。その後、玉村と江南は、少なくとも3回の事業において、共同で作業を行った。 江南は、当時の写真師としては珍しく、人気のあった様々な形式の仕事に幅広く取り組んだという点で、唯一の存在であり、その仕事には、『"Yokohama Albums"』と通称された、大判写真を編集した写真帖の制作なども含まれていた。他方では、江南は立体写真や幻灯機用のスライド・ガラス写真など、小さな写真もついても、最も多く作品を残した多作な写真師であった。その作品の中でも最も秀でたものは、直接手彩色が施された。江南の残した写真は、書籍や定期刊行物、新聞などにも取り上げられ、何百万枚もの複製が印刷された。江南の作品だけで構成された日本の風物を捉えた立体写真のセットは、アメリカ合衆国の少なくとも3社の出版社から発売されていた。 1923年の関東大震災の際には、江南は生き延びたものの、地震後の火災によってスタジオを焼失したが、後にはスタジオを再建した。1929年に江南が死去した後、長男の保(たもつ)がスタジオ経営を継承したが、第二次世界大戦下の1945年の空襲で、スタジオは再び焼失した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江南信國」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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