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江口 行男(えぐち ゆきお、1915年4月4日 - 没年不明)は、愛知県〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、88ページ〕出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手。 == 来歴・人物 == 享栄商業では第10回選抜中等学校野球大会に一塁手として出場〔。準々決勝まで進出し、準々決勝は野口明、杉浦清、鬼頭数雄らがいた同県の中京商業に3-1で敗れた〔。卒業後は立命館大学へ進学し、1934年の日米野球では、全日本選抜メンバーに選ばれた〔野球回廊(1934年日米野球登録選手) 〕。日米野球終了後、大日本東京野球倶楽部の創立に参加し、アメリカ遠征にも参加。背番号14〔巨人軍で最初に背番号14を付けた人物であり、江口の後に付けたのが沢村栄治である。沢村以降は、今泉勝義と坂本茂が着用した後、1947年7月9日に永久欠番となった。〕を与えられ、アメリカ遠征に参加。 1936年に二出川延明と共に名古屋金鯱軍へ移籍〔(日本球界初の移籍と言われている)。1938年の春季リーグでは、14盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した〔。このシーズン終了後に退団(1度目の応召があった物と言われている)し、1941年に阪急軍でプロへ復帰した〔。1942年に再び応召され、引退した〔。 没年月日は不明であるが、2度にわたる出征の末に戦地で身体を壊し、戦後間もなく病死したと伝わる〔戦没野球選手慰霊(沢村栄治記念館のページ) 〕。30代前半の短い生涯だった。 長い歴史を持つ、日本プロ野球史上で唯一「雅号」を持つ選手として知られ、「江口梧人」と言う名で友人達と演劇に関する同人誌を発行していたと伝わる〔職業野球!実況中継(江口梧人) 〕(竹中半平・著『背番号への愛着』より引用)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「江口行男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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